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Channel: 情熱社長~情熱的なベンチャー企業社長のメッセージ~ »不動産
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株式会社エドボンド(お部屋さがしは【いえやす】) 代表取締役 花田謙一

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代表取締役 花田謙一

代表取締役 花田謙一

代表取締役 花田謙一

設立 2012年5月15日
事業内容
  • 不動産賃貸・売買仲介
  • 不動産コンサルティング業
  • プロパティマネジメント業
  • ファイナンシャル・プランニング業
  • 経営コンサルティング業
会社HP http://ieyasu-home.com/

音楽活動をきっかけに上京

私は秋田出身で、東京に憧れを持って、高校卒業後、音楽の道を志して上京しました。
がむしゃらに活動に励んでおりましたが、結果的に夢破れ途方に暮れる結果に。
職を探して、最初に就いた仕事が大手チェーン飲食店でした。
この時に学んだ店舗運営・管理のノウハウは、現在の社長業にも活きていると思います。
転機は23歳のとき。
仕事をしながらふと将来の事を考えると、不安がよぎりました。
「このまま30歳、40歳になったとき、この仕事を続けているのか?」と。
何かを変えようと考えたとき、注目したのが金融・不動産業でした。

金融・不動産業界へ、そして独立

今考えると、
「お金が稼げそう」や「手に職が付けられそう」、「なんか、カッコいい」
といったイメージ優先の選択だったのですが、当時は必死です。
資格も無ければ学歴もありません。そこで資格取得について考え始め即、行動しました。
仕事(当時の飲食店では勤務時間帯は夜だったため)をしながらの勉強は
本当に大変でしたが、努力の甲斐もあり資格を取得。
そして、大手外資系金融会社に転職。
完全実力主義の外資系企業の中で、ある程度の評価もされてきたのですが、
リーマンショックが会社の経営を直撃。
紆余曲折の末、中堅の賃貸不動産会社へ転職することとなりました。
その会社で働く中で、
もっと徹底的に「楽しみ」にこだわった仕事がしたいと考えるようになり、
・自分の知識や経験が活かせる
・男女年齢問わず、お客様に喜んでいただける
・何より私も含め、スタッフ・関係者・業者様も含め楽しんで頂ける会社を作りたい!
という気持ちから、株式会社エドボンド お部屋さがしは【いえやす】を立ち上げました。

「絆」と「繋がり」を大切にした経営理念

不動産業界は数多く、弊社のある新宿駅近辺だけでも約280店舗。
物件を探し、紹介して喜ばれる、業者・お客様、係わる方全てがWIN-WINの関係を
築いていける素晴らしい仕事なのですが、
どうしても運営・営業方法が似通ってしまうのも事実。
その中で当社は、徹底したアフターフォローに力を入れています。
物件を紹介しておしまい、ではなく、
その後のお客様とのつながりを大切にする。
それが当社の「ファン」の獲得へとつながっています。

私の根本にある考え方は、
「喜んでもらえるかどうか?」
「満足していただけるかどうか?」
「心から楽しんでいただけたか?」
そのために、今、目の前にある仕事に全力で取り組むことが大切なのです。
「来てよかった。またお願いします。」
という声を目指して、毎日の仕事に取り組んでいます。

社名の「エドボンド」にも、このような想いを込めました。
ボンド(Bond)の意味は「絆」「繋がり」。
当社に関わる方々すべてと、良い絆や繋がりをつくっていきたいと考えています。

一つ一つの仕事を楽しんで

当社のスタッフには、楽しんで仕事をして欲しいと考えています。
スタッフが楽しんで仕事をすることは、
・良い仕事ができる
・お客様に喜んでいただける
・紹介をいただける
・利益が上がる…
といったように、会社の成長の根源でもあるからです。
社長の私に対する提案もどんどんして欲しいですし、
当社のスタッフが将来、社長になってくれたらこれほど嬉しいことはありません。
スタッフ一人一人と一緒になって、今、何をやるべきなのかということを考えていく。
そうやって次に任せていける人材を育てていくことで、
結果的に組織全体も成長できると考えています。
将来のビジョンもとても大切だとは思いますが、
まずは一日一日を大切にし、後悔の無いよう過ごすことが大切だと考えています。

人生一度きり。
それならとことん、楽しめばいい。
その為に、今、やるべきことを悔いの無いようトコトンやる。
スタッフにも、常日頃伝えていることです。

これからの時代は行動力!

最初から、全ての仕事が完璧にこなせる人などいません。
だからこそ、大切なのは行動力です。

・何事に対しても「すぐ」行動できるか?
「あとで」はダメです。「すぐ」行動に移すのが大切なのです。
明日やる、明日になる、また明日になる。
今やらなければ、いつやるのでしょうか?

・自ら「考えて」行動できるか。
一つの事に対し、一つの結果で返すのでは当たり前。
一つ一つの出来事に対して必ず「意味」があります。
プラスアルファのアイデアを添えて返せるように、考えて行動することが大切です。

この二点の一つでもできる若い方が最近少なくなったように感じます。
どのような仕事でも、知識やスキルは後から身につくものです。
今できることから「すぐ」行動、そして「考えて」行動してみてください。

「人生・チャチャチャ」

上京する前にある方から頂いた、忘れられない言葉です。

人生とは、
「chance(きっかけ)」があって
「challenge(挑戦)」して
「change(変化し成長)」すること。

そしてその成長をいかに楽しみ情熱を持って取り組めるか?

今、自分の経験を思い返すと、まさにその通りでした。
失敗しても、いくらでもやり直しはできます。
成功か失敗、ではありません。失敗は全て経験です。その経験が成長です。
現実の問題にぶつかり、心が折れることもあるでしょうが、
その成長の過程をどう楽しむか?その意識が大切です。
きっと楽しく充実した人生(仕事)になりますよ。

私は「楽しい事ばかりではなく、辛い事もたくさんある」と面接に来た方にあえて伝えております。
「けど、見ててください。それ以上に楽しい会社になるからね。
そのために皆様の力が必要です。一緒にそうなるための環境をつくっていきましょう!」と。

私、一人の力では何もできません。
自ら行動する力(きっかけ)は勿論ですが、一番大切なのは
いつも支えてくださるスタッフ・お客様・業者様・それに伴う関係者様、全てです。

これから何かを始めようと思っている皆様、
チャレンジすることを恐れずに、その一歩を是非、自ら踏み出してください。


株式会社 make act 代表取締役社長 佐藤幸憲

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代表取締役社長 佐藤幸憲

代表取締役社長 佐藤幸憲

代表取締役社長 佐藤幸憲

設立 2008年10月22日
事業内容
  • 不動産賃貸・売買仲介
  • 不動産コンサルティング
  • プロパティマネジメント
  • 経営コンサルティング
  • 人財共育
会社HP http://www.makeact.co.jp/

◆ バイトに明け暮れていた学生時代

高校時代からいくつかのバイトを経験し、とにかくバイトに明け暮れていた日々でした。
高校を卒業するときも、特にやりたいことや、夢があったわけでもなく、
自分で起業したいという意思も全くありませんでした。
正直言うと、職の探し方も知らなかった状態で、就職活動も積極的にやらなかった。
そんな世間知らずでした。

当時の求人で、その給料の高さだけで応募した人材派遣会社に正社員として入社したものの、14日間で辞めました。
アルバイトと社会人の違いに、当時、衝撃を受けて、次のことは何も考えずにすぐに退社をしました。

ただ、研修期間の14日間だけは働いたので、当時はお金もなかったから、
働いた分の給料だけは欲しいと思い、取りに行きました。

そこで次の仕事も決まっていないことを打ち明けると、アルバイトをしないかという声を掛けてもらったのです。
ここでも時給の高さに惹かれて、働く事を決めました。

そこで最初、デパ地下の販売員として1年程勤務し、飽きた自分はその後、
手を挙げて料理人として働かせてもらうことになりました。
当時料理が得意だったわけでもないのですが、仕事を評価され、正社員になる事ができました。

◆ 最初の社会人経験で学んだこと

料理人として厨房で働くこと1年。
信じられないかもしれませんが、1年後には料理長兼店長に昇格しました。
今度は、料理長兼店長として大宮駅内にある店舗に配属され、
開店後三年間ずっと赤字経営だった店舗を、なんとたった二ヶ月目で黒字に戻すことができました。

これは当時、私自身の年齢が若かったこともあり、社内の経営陣の中でも、話題に上がる程の大きな実績でした。

当時、思ったのは、“結果を出せば、何も言われない、自分の思うようにやれる”ということ。
例えば、全国の店舗の料理長・店長が約40名くらい集合する会議も、
私は働いている方が楽しかったので、出席しない事もありました。

欠席しても自分の店舗は結果を出しているため、何も言われない。
文句を言っている人がいても、自分は会社全体の業績に貢献しているので、
文句を言われる筋合いはない、というくらいの勢いでした。

逆に言えば、そのくらい仕事をしていたという自負もありました。
当時は、とにかく仕事に夢中で、毎日3時間睡眠の生活が、
1年間ほど続いていましたが、全くつらくありませんでした。

それだけ仕事に集中していました。
調理から、商品開発、原価計算、収益管理、仕入、アルバイトの採用、育成などの
店舗運営に関わるすべての仕事を自分一人でこなし、常に経営者的な姿勢でやっていました。

◆ すべての成功の秘訣は”整理整頓”

当時、料理長として、自分の店舗を黒字経営へ転換できた成功の秘訣は、なんだと思いますか?
ズバリ、“整理整頓”。

まず初めの1ヶ月目で、全てを奇麗にします。
整理整頓し、不要なものを捨て、それと同時に過去のデータを洗い出し、店舗状況を把握します。
売上のデータ等から、店舗内の環境、社員やアルバイトの就業状況まで
すべてを確認した上で、これまでの店舗の悪い点を分析する。

そうすることで、改善点が分かり、それを実行すると店内が一掃されて奇麗になります。
あとは、自然にお客様は寄ってくるのです。
そのタイミングで、いい商品を提供すれば、さらにお客様は増えます。
つまり、現場が奇麗になれば、人は寄ってくるし、何より人が元気で、笑顔で明るくなる。

今、全く違う業界で、仕事をしていますが、今でもこれはビジネスの基本で、
この繰り返しが大きな力になると確信しています。

◆ 人生の転機となった不動産営業への転職

その後は、不動産業界へ入社し、営業マンとして働きました。
不動産業界へ惹かれたのは、当時流行っていた“完全実力主義”という言葉。
その時自信があった自分は、とにかく結果がすべてという業界であれば、
やってみたいと思い飛び込んでみました。

ここでも、入社後2ヶ月で全店で成績でナンバーワンを取ることができました。
その後も他の不動産会社で、店長として勤務し、同じように結果を残しました。
経験も知識もない不動産業界で、結果を出せたのは、
やはりここでも“整理整頓”の原理と、それを達成するための行動力でした。

仕事をしていく中で、どこへ行っても結果を出し、誰よりも組織を理解し、会社の業績にも貢献。
自分の実力への自信もついた…。
しかし、いつも社長や上司とぶつかる自分がいました。
なぜなら、当時仕事をしていて、
「自分の満足した商品を売りたい!」「もっと社員の満足を追求したい!」
という思いが人一倍強かったので、それを上司にかけあっても、
「そんな奇麗事」とか「それができたらいいね」とか、受け入れてもらえなかった。

自分が商品に満足していないのに、大事なお客様へそれをすすめることはできません。
これは、今のメイクアクトの理念にもつながっています。

これが、自分で会社を作ることを考え出したきっかけでした。
当時は、23歳でした。

◆ 港区でNO.1の不動産は”makeact”そして新しい街作りを目指して!

今、メイクアクトが目指しているのは、“港区特化”。
日本でも最先端の会社が一番集中している土地で一番をとれば、日本で一番だと思っています。
そして、不動産で港区NO.1をとったら、街全体の中心的存在となって、違う業種へ展開していきます。

つまり、これから先、メイクアクトが目指すのは、新しい”街創り”です。
メイクアクトの新しい街創りでは、これからの若い人たちが学ぶ場を提供し、
自分が経験した事や、メイクアクトで創り上げた文化を伝承することで、
街全体を盛り上げていきたい、そのための専門学校や職業訓練所のような学びの場を作りたいという計画があります。

というのも、18年間何も知らなかった自分に対して、多くの人たちが助けてくれたので、
そこに自分が何かの恩返しをしたいという強い思いがあるからです。

ちゃんとやっているのに、タイミングやチャンスが与えられない若い子たちにチャンスをあげたい。
そして、そこに正当な評価をしてあげることで、自分が社会にできる恩返しであると考えています。

◆ 社員への想い 〜メイクアクトの一員として〜

高校を卒業して以来、仕事を通してこれまで、自分の出してきた結果と自信があったからこそ、
自分一人でやってきたという自信があります。
経験や知識がない新しい業界に飛び込んだときも、会社を立ち上げたときでも、
それまでの自分のやってきた経験があったからこそ、不安や心配はありませんでした。

ただ、これから目指す街作りとなると、規模スケールが広く、一人で達成できるような規模ではないのです。
だからこそ、一人では実現できない夢だからこそ、これからは、メイクアクトの仲間と共に、
3年から5年という年月をかけて、実現させていきます。

”みんなで創るmakeact”それがメイクアクトの掲げるテーマです。
そして、これからも同じゴールを目指していける仲間をどんどん増やしていきます。

~ 企業理念 ~
自分自身が満足をし、関わる人の満足を創造する

これからも 「創造を実行 = maekact」 していきます!

テイクオフィス株式会社 代表取締役社長 金杉 公義

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代表取締役社長 金杉 公義

代表取締役社長 金杉 公義

設立 2005年11月
事業内容
  • 賃貸オフィス仲介
  • ビルマネジメント
  • ファシリティマネジメント
会社HP http://chintai-takeoffice.jp/

経営者一族に生まれ育って

実家が会社を経営しており、親戚も経営者が多く、まさに経営者一族に生まれ育ちました。
その影響もあり、幼い頃から自分も将来起業したいと漠然と考えていました。

もともと不動産事業に興味を持ったのは、市場規模が非常に大きいから。
その中でも仲介業を選んだのは、
就職活動中はちょうどバブル崩壊後で、ビルを所有している人たちが次々に手を引いていく中、
仲介業においてはさほど大きな打撃を受けずに経営ができている企業が多かったからです。
また、仲介業者が世間からあまりよくないイメージを持たれている傾向にあり、
逆に健全に取り組むことができれば、大きなビジネスに繋がるとも考えていました。

常に「オリジナル」な企業であること

当社のビジネスモデルで、最も特徴的なのが、仲介手数料ゼロというところです。
他社と差別化を図っていくことを考え、今年の5月からスタートさせました。
やはり顧客にとってよりよいサービスを提供していきたいですし、他社にはできないサービスを考えていきたいです。
今後も既存サービスに付加価値をつけたり、よりリーズナブルに提供できないか検討したりと、
改善する余地は大いにあります。

今後も、常に「オリジナル」な企業であることを重視していく方針です。
新しいしくみを生み出すことはなかなか難しいですが、
既存のしくみを組み合わせて新しいものを考案したり、価格の面で工夫したりと、
他社とは違うサービスを提供する、ということを常に考えていきたいです。
現段階でいくつかアイデアもありますが、
それ以外にも仕事を進める中で新たな改善ができるような組織にしていきたいと思います。

豊かな人生が送れる会社を目指して

わたしは、当社に入社した社員たちを終身雇用できる会社づくりを目指しています。
当社に入社した以上、年収の面、やりがいの面、社員同士の絆の面など、
物質的にも精神的にも満たされた状態を築いていくのがわたしの責任だと感じています。
社員たちが豊かな人生が送れる会社を目指し、様々なことに取り組んでいきます。

例えば、社員同士の絆を深めるという面で言えば、
社員ひとりひとりの強みと弱みを理解し、弱みを指摘しすぎない、
強みはおおいにほめたたえるといったところに気をつけています。
強みと弱みも日々変化しているので、その変化にも気付けるように日々注意しています。

ベンチャー企業ですので、
大手が参入しにくいニッチな市場に対し、利益モデルを作りだし、収益に繋げていかなければなりません。
そのため社員が利益モデルをゼロから考え、作りだしていけるような環境の整備にも今後さらに注力していきたいです。

ベンチャー企業に入社したいと考える学生へ

当社が求める人物像として、「いい人生を送りたい人」が挙げられます。
物質的にも、精神的にも豊かな人生を送るため、日々努力できる人がいいと思います。
生きていると、どこかで自分の妥協点を決めてしまいがちですが、
当社の社員たちには、今よりさらによくなりたいと、上を目指し続けられる人であってほしいです。
面接を行う際にも、ひとつの難題に直面したときの解決方法や、
目指すものに対する粘り強さなどをひとつの指標として見ています。

ベンチャー企業に入社したいと考える学生へは、何をリスクととらえるか、よく考えてほしいと思います。
大企業では新入社員をサポートする体制は整っているという良い点もありますが、
ベンチャー企業では自ら課題を解決をする能力が求められ、個人のビジネススキルも高くなります。
大企業にいるから安泰という時代はもう終わり、今後はより個人の能力が重視されていきます。
そうした背景を考えると、ベンチャー企業は個人の能力を高めていく上ではよい経験ができる場だと思います。
当社も新卒採用を行っていますが、新入社員は社会人生活を当社でスタートすること
になりますので、会社にとっても、社員にとってもよかったと思えるようにしたいです。

学生へのメッセージ

今までの日本企業は、いかに先代の取り組みを後世へ継承できるか、というところを重視されてきましたが、
今後は、過去の流れをくみ取りながらも、新しいかたちを作っていくことが求められます。
そのため、歴史を踏まえたうえで自分オリジナルの考えを持ってどう動いていくかということが大切です。
上司や先輩から言われたことをそのまま実行できる学生もいいですが、
わたしは既存のやり方に疑問を持ち、よりよいやり方を考え、実行できる学生が必要になってくると思います。
言われたことを100%やり遂げるより、言われたことに疑問を持ち、別のやり方で結果を出す方が何倍も難しいのです。
自分の人生を自分で切り拓いていける人は少ないですので、
自分の考えに自信を持ち、確実に実行できる人は企業でも重宝されるでしょう。
そして、学生のうちは、自分が心から楽しいと思えるものを見つけ、それに全力で取り組んでください。
自分が楽しいと思えることをやり続けるには、
周囲の環境を整えていかなければなりませんので、説得する力、スケジューリングなど、色々な力が身に付きます。
誰かから命令されたことより、自分が楽しいと思うことを準備する過程は、勉強になることが非常に多いです。
人生は一度きりですので、「今日死んでも惜しくない」と思えるくらいの気持ちで、いつも全力投球でいきましょう。

株式会社Global GA 代表取締役社長 樋口 龍

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代表取締役社長 樋口 龍

代表取締役社長 樋口 龍

設立 2012年2月8日
事業内容
  • 不動産の企画開発、売買、販売、および不動産資産の運用、管理
  • インターネット等のネットワークを利用した
    商品の売買システムの設計、開発、運用、販売および保守
  • 土地・建物の賃貸および管理
  • 住宅のリノベーション業
会社HP http://www.globalga.co.jp/

世界的なサッカー選手を目指していた10数年間

私は小学2年生から23歳まで、プロのサッカー選手を目指していました。
中学時代は、FC東京クラブチームのジュニアユース、高校は帝京高校、
そして社会人サッカーのアマチュアチームへと進みました。
「プロになって世界で活躍したい」と、本気で考えていたのです。

しかし23歳になって、ふと思いました。
今からプロになり、日本で2年ほど活躍して海外に出る時には20代後半。
世界的なプレーヤーになるには遅い、と。
そう思った時点で私がサッカーを続ける意味はなくなり、
「人生終わった」という気持ちになりました。

そんな時に読んだ一冊の本が、私に新たな人生の目標を与えてくれたのです。
若くして史上最短で上場を果たした不動産会社社長の本で、
「ビジネスって、こんなに面白いんだ!」と深く感動。
サッカーと同じで、ビジネスでも世界に勝負できるんだと思いました。
そこで、サッカーではできなかった「世界で勝負する」という挑戦を、
ビジネスの世界でやってやろうと決意したのです。

サッカーをやめ、起業を見据えて再スタート

起業を決意したものの、まずは何か仕事をしなければと思い、
宅建をとって不動産会社に入社。
そこは社員が7~8人、新人に仕事を教える余裕はなく、他社に研修に行かされました。
その研修は大手不動産の役員が講師で、話を聞いて「こんなやり方があるんだ!」と、衝
撃を受けたのです。
それまでやっていた「気合いと根性」の営業ではダメ。
営業にもスキルが必要だし、効率的に動かなければ契約は取れないと分かりました。
そこでその大手不動産会社に転職し、まさに寝る間も惜しんで働きました。
誰よりも努力したと胸を張っていえます。
まずはトップセールスマンにならなければ起業なんて無理、世界的な会社も作れない、
これがダメなら、サッカーと同じ過ちを繰り返すことになるという気持ちでした。
入社8ヶ月ほどでトップになったのですが、それは私の頑張りだけではなく、
上司のおかげでもありました。
かなり厳しい上司でしたが、気合いや根性だけではなく、
中身の部分もきちんと考えてくれたことに、今でも感謝しています。
入社1年で起業を考えた時も、「マネージメントを覚えた方がいい」と助言をしてもらい、
いったん踏みとどまって課長・部長を務め、組織でもトップの成果を出すという事を経験できました。

ビジネスで世界を目指すことを目標に起業

大手不動産会社に4年10ヶ月在籍し、志を同じくする2人と合流して起業。
最初の1~2ヶ月は、会社としてはあまり上手くいきませんでした。
大きな組織から小さな組織になって、色々と勝手が違う部分があり、
対応できるまでに1ヶ月ちょっとかかってしまったのです。
ただ、その経験もそれ以降の経営に活かすことができたので、
結果的には良かったと思っています。

起業当初から掲げている理念は、「イノベーションを起こし、
世の中に感動するサービスを提供する」というもの。
これが当社の事業価値であり、それを踏まえたビジョンが「世界のトップ企業を創る」です。
ただし既存の不動産売買だけでトップになりたいわけではありません。
IT×不動産においてイノベーションを起こして、新しい付加価値や
感動を生み出すサービスを創り上げたいのです。
単に売り上げや規模でトップを狙うのではなく、
世の中にない感動するサービスを提供し続ける事でトップになりたいのです。

失敗したら、振り返って考えることが大事

当社は、「仕事を好きになってもらい、やりがいを持ってもらう」という
人材ビジョンも掲げています。
いい人材を採用し、その人材に対していい環境を提供する。
それが私の役目であると考えています。

人材に関しては、何かしらひとつのことに打ち込んだ経験のある人が望ましいですね。
何かを一生懸命やっていた人は、失敗も経験しています。
私の場合も、サッカーを必死でやっていましたが、プロにはなれず、
そこで「なぜなのか」と原因を考え、再び失敗したくないとも思いました。
こういう人間は、同じ失敗は繰り返したくないというところからスタートします。
しかし何もしてこなかった人は、ここの仕事で初めて失敗をして初めて、
「自分にはこういう問題点があったのか」と気づきます。
要は、自分の問題点を踏まえてスタートする人と、そうではない人とでは、
成長のスピードが違ってきます。

当社で仕事をしていく上で、失敗することもあるでしょう。
そんな時に、きちんと振り返って考えられるかどうかも重要。
振り返らずに進んで、同じ失敗を繰り返すのは、もったいない、
私は社員にそのように言っています。

トップダウンの目標で、事業拡大と会社の成長を目指す

事業の柱はマンション販売ですが、これだけでは会社の成長にはつながりません。
今後は、不動産事業に新しいサービスを付加した、新規事業の展開を考えています。
その一つが不動産事業にITを絡めていくというもの。
不動産で不便と感じる部分を、効率化していくイメージのサービスですが、
今の時点では様々な規制などがあって、事業化はそう簡単ではありません。
しかしだからこそ、そこにチャレンジしていきます。
既成概念をこわしてチャレンジしていくのが、イノベーションであるからです。

長期的な目標は、20~30年後に売上10兆円、利益2兆円の企業になること。
事業としては、不動産事業、新規ビジネス事業、インフラ事業の3本柱で、
オプション的にホテル事業も手掛けたいと考えています。

これらの目標に向けて、今は何をすべきなのか。
それを逆算して、今は人材採用や新規ビジネスのアイデア実現を
積極的に進めています。
大事なのは、ボトムアップではなくトップダウンで目標を決めること。
その目標を達成するために、今は何をすべきかを考えて動くように、
社員にも徹底しています。

学生へのメッセージ

22~23歳くらいで、自分のやりたいことが見つかっている人は、
実際にはそれほどいないと思います。
自分は何をやるべきだろうと悩んだとしても、答えは見つからないでしょう。
だったら無理して見つけることはありません。
見つからないのであれば、やるべきことは「実力をつけておく」、これに尽きます。
だから「やりたい」という観点で会社を探したり選んだりするのではなく、
実力が身につく会社に入りましょう。

逆にやりたい事が見つかっていて、
自分たちの手で組織を創りたい、サービスを創りたい、
大きい事を成し遂げたいというチャレンジ精神溢れる人、
当社のビジョンに共感してくれたか方は、ぜひ一緒にチャレンジしましょう。

僕は一生チャレンジし続けます。

株式会社グルーヴ・アール 代表取締役社長 川島 直也

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代表取締役社長 川島 直也

代表取締役社長 川島 直也

設立 2009年9月10日
事業内容
    • 不動産メディアサービス企画・立案

→マンション・アパート口コミサイト『マンションレビュー』

→不動産売却 一括査定サイト『家いくら?』

  • WEB制作・SEO対策
会社HP http://www.groove-r.co.jp/

起業のきっかけは、サラリーマンよりも、起業した方が面白そうだなと思ったこと。

起業を初めて意識したのは、大学2年生の頃でした。
きっかけは、友人の父親がITサービス業で実際に起業しており、そのエピソードを聞いたことです。
サラリーマンの家庭に育った私は、将来に対しては「自分も父と同じ金融業界に就職するのかな」
くらいにしか考えていませんでした。
しかし友人から耳にする話はどれも刺激的。そのうち、自分で起業することに興味が沸いてきました。

その友人との会話で一番印象に残っているのは
「40代、50代になって、会社が毎日つまらない、とぼやく人生で良いのか?」
そう問いかけられた時のことです。
そこから、自身の人生を思い描いて行く過程で「確かに…」と感じている自分がいたんですね。
一方で単純に「起業は面白そうだ!」という学生のノリもありましたが、
「30歳までには起業しよう」と卒業までには決めていました。

マンション・アパートのクチコミサイト『マンションレビュー』とは?

大学の卒業時には起業を志していましたので、
就職活動では「成功者に合う機会が多そう」だからと不動産と証券会社を中心に活動していました。
起業するならITサービスが小資本でも、成功する可能性が一番高そうだなと思っていましたが、
大学での専攻は文系で、バイトも居酒屋でやっていただけなので、
理系の知識だけでなく営業やマーケティングの知識もゼロ。
高額な商品を取り扱えて、営業とマーケティングの知識を学べる不動産業界が短期間で、
一番成長出来るかなと感じたので、就職を決めました。

入社して3年目くらいでしょうか。
不動産業界には、まだまだユーザーが求める情報が足りてなく、
情報に対するニーズがあるなと感じるようになりました。
不動産を購入する際には、人生経験を積んだ40~50代の方でも慎重になるものです。
高額な買い物ですから当然ですが、
ユーザーの口コミ情報がないことで、不安要素を払拭できないのではないか?とも感じました。
そんな潜在的なニーズから具体化したのが、当社サービスの『マンションレビュー』です。

最初は都内23区からサービスを開始しました。
情報=ユーザーレビューが集まらないと始まらないので、
当初はレビューを集めることに苦労しました。今も苦労していますが (笑)

webマーケティングやキャンペーン等で、レビューを増やす施策を実施することで、
情報量が徐々に蓄積されたのと、扱う地域を全国に広げたことで、情報が情報を呼ぶ循環に少しづつ入ってきました。

住まいに関するwebサービスで、No.1のカンパニーになる!

実は『マンションレビュー』の初期段階のプログラムを書いてくれたのは、
先程話した大学時代の友人でした。
彼も、同じようにwebサービスでその後起業したんですが。

29歳で実際に起業するまで、常に多方面にアンテナを張っていましたし、資金も少しずつ貯めていました。
不動産に関して自分なりに現状の問題点も見えていたし、
知識もあったので、色々とアイデアも出しましたが、ボツになったものも沢山あります。
現在は、150万PV/月と順調に成長している『マンションレビュー』ですが、
まだまだこれからなので、もっとコンテンツを充実させて、情報量を増やしていく必要があります。

また、「良いサービス」を提供していく上で、
大手とベンチャーで明確な違いや住み分けがあって良いのでは?と、考えています。
大手がやった方が上手くいくサービスとベンチャーがやった方が
上手くいくサービスがあると思っていて、グルーヴ・アールは、
あくまで『自分達がやった方が良いサービスが作れる』と思った事業しかやらないつもりです。

「自分たちにしか出来ないサービスを作ること」が大事です。
そうしたサービスを生み出していくことで、
自ずと、住まいに関するwebサービスで、No.1のカンパニーに近づいていけると思います。

新規サービスは上手くいかないので、興味が続きそうなこと以外はやってはダメです。

今は、自分の夢=会社の目標ですから、
「住まいに関するwebサービスで、No.1のカンパニーになる」ことが、個人としても、今の目標であり夢です。

起業してみて、ひとつ言えるのは、自分が興味あることだからこそ、続けられるのだということです。
新規のサービスは、「順調にことが運ぶ」ものではありません。

机上で考えている事業計画書は、多少のリスクや懸念事項があっても、
自分達が損する事業を具体化していくわけではありませんから、
順調に事業が成長し、プラスに着地することを想定しています。
でも、実際出してみると、サービスは、上手くいかないんですよね (笑)

だからこそ、自分にとって興味があり、好きなことでなければ続けられないし、
「このサービスを続けられるのは、自分しかいないな。じゃあ自分がやるべきだ」という使命感も沸いてくるんです。

まだこの世にないものを生み出す楽しさ。

私の人生観で大事にしているのは、楽しく生きることです。
まだこの世に存在していない、新しいものを生み出すことが好きなので、そんな仕事をしている時は楽しいです。
会社でも同じ。まだ世にないサービスを、グルーヴ・アールが創り出したいと考えています。

組織作りで常に心がけているのは『皆が意見を言える』ことです。
年齢や役職に関係なく、自由にアイデアを出すことはとても重要です。
アイデアに正解はないし、誰かが感じている想いや意見には、社会のニーズが含まれています。
だから、アイデアを口に出すことを「こんなこと言ったらバカにされちゃうかな」と尻込みしてしまうのは勿体ない。

大学時代に、「サラリーマンがつまらない」と思ったのは、
言われたことだけをこなして、やりたいことをやれない人生がつまらないと、自分なりに考えたからです。

自分が面白がっていれば、周囲も楽しくなってくる。まずは、自分が楽しむことから始まると思います。

一歩を踏み出し、継続していくこと

就職活動は、本当に<縁>としか言いようがないと思います。
縁のある企業に出逢うのが、1社目か30社目かは、人それぞれ違うので、分かりません。
だからこそ、途中で休んでも良いから、就活をやめないことが大事だと思います。

事業にも同じことが言えます。
上手くいかないことが重なったからといって、そこでやめてしまっては結局ゼロになってしまう。
続けていれば、世の中の方が変化してきて、事業が好転することもあります。
「継続は力なり」とは、上手くいかない時にも、
続けられるかどうかが問われているという意味が込められていると思うんです。

あとは、一歩を踏み出すことが重要だと思います。

起業を考えている学生の方には、タイミングもありますが「これだ!」と目標を決めて
早く動くことをお薦めします。自分ももっと早く起業しておけばよかったなと思っています。

よく言われることだと思いますが、起業してから経験出来ることの方が、やはり密度は高く、早く成長出来ます。

やりたいことがないのに、起業する必要はないですが、
やりたいことが決まっているんなら、早く起業した方が良いと思います。

自分の感性を信じて行動して下さい。

株式会社オークハウス 社長 山中武志

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社長 山中武志

社長 山中武志

設立 平成10年11月10日
事業内容
  • 賃貸物件一括借り上げ事業
  • 賃貸物件運営管理事業
  • 不動産販売事業
  • コンサルティング事業
  • ホテル・旅館事業
会社HP http://www.oakhouse.jp/

起業につながるような環境が自然にあった

小学校5,6年生の頃の私には「独立と実力と自由」というテーマがあって、
その言葉を貝殻に書いていつも眺めていました。
自由になるためには独立していないといけない、
独立するためには実力がないといけない、
一人で金を稼いで食っていかなければならないと考えていました。

実際に8歳の時には、くず鉄を拾ってそれを売っていましたし、
10歳の時には新聞を発行しようと思い、当時高額だった紙を買うために球根を売り、
11歳の時には切手を仕入れて売るということをしていました。
これを起業というのかはわかりませんが、幼い頃から自然とこのようなことをしていました。

大学は、京都大学の経済学部に入学し、経済学を学びました。
中学生の頃から歴史が面白くなり、
歴史というのは経済が動かしている、お金の動きで歴史が変わるということから
経済学を学ぼうと思ったのです。

大学時代は、親からの援助を一切受けず、
家庭教師や塾の講師をしてお金を稼いで大学に行き、生活もしていました。
家庭教師の仕事を探す際も、自分で新聞に募集広告を出して、家庭教師を探している人を見つけて、
依頼されたいくつかの家庭教師の仕事を友達に紹介し紹介料をもらうということをしていました。

このように、起業に興味を持つきっかけとなるような環境が自然と私の周りにあって、
自然な流れでここまできました。

自分の思い通りにならなくて苦痛だったサラリーマン時代

大学を卒業した後は、頼まれた塾講師を続けるつもりでしたが、
みんなが就職活動をしているのが面白そうだったことと、自分の力試しのつもりで就職活動をしてみて、
外資系の日本IBMという会社に入ることにしました。

自分で実力を試すのがいいと思っていましたが、
起業するにはまだ早いと思って会社に入ってみたものの、最初の15ヶ月間は教育期間でした。
その15ヶ月の研修の卒業証明をもらうことができなければ、営業の仕事はさせてもらえません。
早く営業をしたい気持ちがありましたし、
大学の4年間で既にうんざりしていたのに、また学生をやらされるようで正直嫌でした。

教育期間の半年が過ぎた頃、私はもう耐えられず、営業がしたいと上司に訴えました。
結果的に、アシスタントとして大阪の西成区を担当させてもらえることになり、
先輩から教えられた通りに一日八時間、夕方会社に戻るまでは絶対に座らないと決めて、それを守って働きました。

担当した西成区というところは会社がない場所で、どうにか船具問屋を見つけて、
アシスタントという身でありながらその会社と契約を結ぶことができました。

最初はすぐにでも会社を辞めたいと思っていましたが、
アシスタントでありながら契約をとり、教育期間中の成績もよかったことから辞められず、しばらく続けました。
しかし、入社4.5年目からノルマが厳しくなったこともあり、30歳の頃に退職しました。

独立して始めた会社が倒産、そしてその後

日本IBMを辞めた後は、
システムエンジニアとしてフリーで働いていた人と共に、その人が技術を担当し、
私が営業を担当するという形で起業しました。
資本金400万円から始めた会社は、従業員が150人という規模にまで成長しましたが、
バブルの時に調子に乗って不動産投資をしたことがきっかけで、経営が苦しくなり、会社をたたみました。

これから何の仕事をしようかと考えた時、自分がコンピューターのことしか分からないことから、
またその分野で独立するつもりでいました。

しかし、当時会社のものと自分のものを合わせて6件不動産を持っていたので、
その不動産で何かできないかとある人に相談したところ、外国人に貸せば良いのではないかと提案され、
その言葉をきっかけに、外国人に物件を貸す外人ハウスという事業を始めることにしたのです。

単にシェアして住んでいるだけで意味があるのか

最初は、外国人に貸すという外人ハウスとしてスタートしましたが、
留学ブームで留学していた日本人にも貸すようになって、外人ハウスからゲストハウスになりました。
次第にシェアハウスとなり、さらに進化してソーシャルレジデンスというコンセプトになりました。

シェアハウスからソーシャルレジデンスに進化したきっかけとして、社会的要請や時代の流れがありました。
シェアハウスとして、ただシェアして住んでいるだけではなく、
そこに住んでいる人たちといろんなアクティビティができる環境を作ろうと考えました。
外人ハウスの時から、パーティーやイベントをするのが伝統としてありましたが、
単にシェアするだけでなく、一緒にいることで新しいコミュニケーションや新しい事柄をなしていく、
クリエーションしていかなければ意味がないという考えから進化したのです。

入居者側の代理業者は他にはない

普通は、お金を払う消費者が主権を持っていて偉いはずなのに、
日本の賃貸住宅市場は、お金を払う入居者側に負担を強いるような構造になっています。
そして、家を借りる人が減っているのにも関わらず、借りるのが難しいという状況です。

我々は、そのような状況を改善しようと努力しています。
つまり、入居者側の立場に立ってオーナーと交渉を行う、入居者側の代理業者なのです。

オークハウスの契約方針は、敷金、礼金、仲介料、保証金、保証人、保証会社が不要で、
在籍証明と所得証明での形式審査のみであり、どこの施設に移動するのも自由なのです。

また、我々はスマート賃貸といって、契約方針は同じで、シェアしない普通の物件も扱っています。
現在スマート賃貸は、スマート賃貸という定義はせず、シェアハウスの一部として成り立っているのですが、
今後はソーシャルレジデンスとスマート賃貸の2つの定義で事業を展開していきたいと考えています。

学生に向けてのメッセージ

私は、どうすれば起業できるのかと人に聞くのは愚かであり、論外だと思っています。
本当に起業する人というのは、人に言われたり、聞いたりしなくてもやるのです。
そして、利益を上げてお金儲けしたいというだけでは、起業に向かないと思っています。

私は、これまで起業家になりたいというテーマを持ったことは一度もなく、
子どもの頃から自然な流れでここまできました。
そのため、自分の人生に違和感を感じたことはありません。
そして、自分で言うのは変なのかもしれませんが、
私という人間は、実業家でも起業家でもなく、
会社という一つの自己表現を持ったアーティストだと思っています。

芸術家になろうと思って芸術家になる人はいないはずです。
そして、アーティストであるピカソは、絵を描きたくて描いていたのであって、
お金が欲しいという思いで絵を描いていたのではないと思います。
内在的なことなので、アーティストになぜなったのか、どうすればなれるのかと
質問をするのは愚の骨頂であると私は思うのですが、
起業家にそういった質問をするということもそれと同じなのではないかと思うのです。

今は情報が溢れていて、その情報に翻弄されている人も多いのではないかと思います。
このような情報過多の時代では、
入ってくる情報が多いのであれば、うまくout putしていかなければならないと思います。
食べたら体から出さないといけないというのと同じで、情報もinだけではだめなのです。
自分で何かをなすことができない、つまりout putできないのであれば、inすることも制限しなければいけないのです。

あちこちのセミナーに参加して話を聞くのが好きで、結局何もしていない人が多いように感じますが、
知識だけをたくさん頭に入れていてはだめなのです。

“行いをもって語るべし”その覚悟だけなのです。

ウェルス・コンサルティング株式会社 代表取締役社長 藤城 健作/代表取締役副社長 井手野 宏幸

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代表取締役社長 藤城 健作/代表取締役副社長 井手野 宏幸

代表取締役社長/代表取締役副社長
藤城 健作/井手野 宏幸

設立 2009年4月
事業内容
  • 不動産オーナー・入居者への
    コンサルティング・情報提供サービス
  • 相続コンサルティング
  • 不動産の賃貸管理
会社HP http://www.w-c.co.jp

「営業力」にこだわった男、「堅実」を選んだ男。

藤城社長(以下藤城):千葉県館山市という漁師町で生まれ、商売人が多い街で育ったためか、
何か成し遂げたいという思いを強く持っていました。
高校を卒業して地元を出るとき、手に職をつければ独立できると思い建築士になろうと考えていましたが、
学生時代のアルバイト先に建築事務所で働く人がいて、
建築士は仕事の成果に見合った給与がもらえない現実を耳にしていました。

どんなに質の高い建築物を作り上げても、それがいかに素晴らしいものでも、
お客様のニーズに合わなければ評価されず利益が生まれないというマーケティング原理を、
学生時代に知ることになったのです。
はからずも自分の進路選択の失敗によって。
進路を決める時には、市場が伸びている業界の方が起業しやすいのではないか?などと考えもしなかったのです。

しばらくして、若くして独立し成功する人が不動産業には一定数存在することに興味を持ち、就職を決意しました。
就職するときには、「どうせなら一番大変な営業がやりたい」と、
電話での営業で投資用不動産販売をするディベロッパーを選びました。

井手野副社長(以下井手野):藤城と同じく館山市という漁師町で生まれ育ちましたが、
藤城とは対極的でやりたいことは特になく、何となく上京しました。

当初は学生の延長のような地に足のつかない生活だったのですが、先のことも考えた結果、
父と同じ公務員になろうと思い直し自衛隊に入りました。
最初は現場での訓練や無線関係の業務もありましたが、上司に恵まれたこともあり、
色々な仕事を行う機会をいただきました。
その中で業務改善の提案を出すこともあったり、さらには人事も経験することができたのです。

ゴールが見える仕事を見切り、自分たちでスタート

藤城:わたしは営業としてトップクラスの成績を出し給与も多くもらっていましたが、
井手野は様々な業務改善を行っても公務員という毎月一定の給与が支給され、
定期的に昇給するという安定した職業だったため、
わたしのような成果報酬の仕事をすべきだと強く主張していました。

井手野:25歳くらいのとき、藤城と今後のキャリアについて話し合ったことがあります。
そのときのわたしは株式投資をやっていたこともあり、何かで一発逆転を狙えばいいと思うような節があったため、
藤城からはそこについても指摘されていました(笑)。
そこでわたしも会社経営についての本を読み、独学で勉強するようになりました。

一方、自衛隊には9年在籍し、最終的には司令部という中枢で仕事をするようになっていましたが、
途中で昇級の限界が見え、仕事をしていてもモチベーションが上がらなくなっていました。
そこで退職し、地元で人事で覚えたことをを活かした仕事をしようと、工場でのスタッフ管理を任されました。

藤城:ゴールの見える仕事など、面白くないと思います。
だから井手野が自衛隊に残るか悩んでいたとき、わたしは自衛隊を辞めることを勧めました。

その後、私は不動産会社から経営を学びたいと経営コンサルティング会社に転職し、
組織活性化を通じ様々な経営者と出会って学びました。
そして良い会社の作り方を自分なりに研究し、井手野を誘ったのが始まりです。

正反対のキャリアが生み出す相乗効果で急拡大

藤城:ふたりが社会人として築き上げたキャリアは、まさに正反対といえるものです。
わたしは営業や経営の知識を積み上げてきた一方で、
井手野は人事、労務管理、投資戦略といった分野のキャリアを形成していました。
お互いの今までの経験すべてが、今の会社に活かされています。

井手野:これが、ふたりが同じようなキャリアを積み重ねて強みも同じ者同士の起業だったなら、
関係に序列がついていたと思います。
設立当初は少し問題が発生したこともありましたが、
その度にその問題を即時処理で解決してきましたので、喧嘩はまったくしなくなりました。
友人同士で会社を興してもうまくいかない、という話をよく聞きますが、
それはお互い不満を蓄積させ、溜まりに溜まって爆発してしまうからだと思います。
わたしたちは普段から思ったことはきちんと口に出し、
お互いの言い分は尊重しながらも、相手の間違っている部分はきちんと指摘して、
改善させるということを意識しています。

藤城:大前提として互いに相手の得意分野を尊敬し合っているから、バランスが合うのだと思います。
あとは自分の仕事は責任をもって遂行し、相手が仕事で詰まっていたら自分もフォローする、ということを守っています。

井手野:わたしたちは、社内ではお互いを下の名前で呼び合い、敬語を使うことなく接しています。
また、二人の間に特に難しい約束事は存在していません。

藤城:お互いがまったく違うキャリアを持っていることこそ互いの信頼感に繋がり、
それが当社の強みになっていることは間違いありませんね。

成し遂げたいことは事業を通じた「町おこし」

藤城:これから成し遂げたいことは、不動産を通じた町おこしです。
具体的には居住者の一時的な移住に伴って空き家となっているような物件を、
第三者に貸し出すビジネスを町おこしに取り入れていくのです。
当社の管理オーナーにシニア世代は多く、田舎暮らしにとても興味を抱いています。
そういう方々に住居の手配や農業・飲食業のスタートの支援など、
田舎暮らしを全面的にバックアップしていく体制を整えていく予定です。
数箇所の田舎を持つ、そんなノマドライフを実現させたいシニアの方も増えると思います。

井手野:私も藤城と同意見で、不動産を使った町おこしを検討していますが、
私は行政が町おこしに対しきちんと助成金を出し、人を集めて活性化させることが大切だと感じています。
何か町おこしをやりたいと考えても、民間1社ではどうしても資金不足に陥りがちです。
そこを行政に補完を求め、中途半端に終わらせない町おこしをやっていきたいです。

また、将来的にはそこで培ったノウハウを生かし、経営者を育成するための教育機関を立ち上げ、
経営者を育成していきたいと考えています。
世界と対等に戦えるような人材を増やしていくことが、日本の未来につながっていくはずです。

会社の方向性も社会貢献につなげたい

藤城:会社の今後の方向性としては、先ほど述べた町おこし以外にも当社の顧客が持つあらゆるニーズに対し、
総合的なワンストップサービスを提供していける組織作りをし、コングロマリット化を進めていきたいと考えています。
顧客を取り巻くすべての課題を自社・取引先で解決していくことが理想です。
そのための付帯サービスとなる新規事業を立ち上げを次々と考えています。
ただ、世間の一時的なバブルには乗らず、自分たちが業務を通じて本当に必要だと感じた事業を厳選して、
始めていく方針です。

また、わたしたちがビジネスとしている「住」という部分をより突き詰め、
人口が減少している日本に、外国からの移住者が増えるようなビジネスモデルを考えたいと思います。
わたしたちのビジネスは入居者がいてはじめて成り立つため、
人口減少は死活問題ですので、日本への移住者を増やすことが私たちも国にとっても良いことだと思います。
最終的には日本に移住してもらった外国人に日本の不動産を投資対象にさせていきたいと考えています。

学生へのメッセージ

藤城:起業するなら、20代で始めることにこだわってください。
覚悟が決まれば早ければ早いほうが良いと思います。
若いうちなら、寝ずにひたすら考えたり、動き続けたりすることができ、それによって深い答えを導き出すことができます。
反対に年を重ねてくるとできない・やらない理由を考えたり、既成概念にとらわれたりします。
何かアイデアがあるのなら、すぐにでも形にしたほうがよいでしょう。

井手野:迷ったらやった方がいいです。
30代で起業するとなると、20代に比べパワーも落ちるし、家庭を持っている場合もあるでしょう。
そのリスクを考えると、できれば20代前半で起業するのが一番望ましいです。
最悪失敗したとしても若いうちなら復活できます。
起業するなら、どん底まで落ちても必ず這い上がってみせるというくらいの心づもりが良いと思います。

藤城:サラリーマンでの失敗は、せいぜい上司にこっぴどく叱られるくらいで済んでしまうことが多い。
給料が下がることはあっても、まるまる1か月分無くなってしまうことはまずありえません。
わざわざ望む必要はありませんが、給料がまったく無いくらいの経験を若いうちにしておけば、
必死になって画期的なサービスやソリューションが作れるようになります。
先入観や既成概念にとらわれない画期的な発想に比例し、事業は大きくなっていきます。
画期的なサービスやソリューションが作りたいなら、まず起業し必死になれる環境を作った上で、
考えてみれば良いと思います。
それで失敗してもそこからもう一度立ち上がればいいのです。

株式会社ビーズ 代表取締役 鈴木勝之

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代表取締役 鈴木勝之

代表取締役 鈴木勝之

設立 2012年2月
事業内容 時間制のレンタルオフィス『beez』の運営。起業家、エンジニア、個人経営者、士業など、多様なバックグラウンドを持った人々が気軽に利用できる空間。個人で仕事や勉強をしたり、仲間と一緒に勉強会などをしたり、人それぞれが目標を達成するために使い方をカスタマイズできる空間。時間制なので、5分単位で気楽に利用できます。
会社HP http://www.venture.web150.com/interview/58.htm

JR東日本勤務の後、起業

実際に起業を行う前は、私はJR東日本(以下、JRという)でエキナカ開発や
大規模商業開発などのプロジェクト管理のお仕事に携わっておりました。

私は建築学を学んでいたこともあって、学生の頃から独立志向がありました。
そのため、JRに入社した当時も、5年程度で会社を辞めるつもりで
自分自身の成長を貪欲に追求し、仕事に従事していました。

もともとJRに入社したのは、建築を軸にして世の中に空間を創造する場合、
設計事務所やゼネコンよりも、なるべく計画の上流工程で業務に
携わることがより自分自身がやりたいことを実現できると考えたからです。

その後、実務を進める中で、自分に不足していた経営の知識を
身につけるべく、経営大学院でMBAを取得しました。
経営大学院の在学中に、より経営者としての実力をつけるべく、
いくつかの選択肢の中から起業という選択肢を選び、
その結果、JRを約9年で退職することにしました。

現在の事業計画は起業の1年前に立てたものです。やりたいことをやるために、
リスクを取って組織のトップに立ち、経営を実践しています。

経営大学院での学び

私にとって、経営大学院で学んだことは、大企業にいても
起業した今となっても、重要な意味を持っています。

例えば、JRにおいては、建築学という「ものづくり」の側面と
経営的な知識の両方を有する人は少なく、
企画面における仮説検証のスピードに強みを持つことができました。

具体的には、案件の規模や客単価から得られる収入と初期投資の
組み合わせを数多く早く考えられ、社内を動かすために
見直しが生じた場合でも新規提案を素早く提案することができました。

もちろん起業に関しては、大学院でのビジネスプランの
延長から始まっているので、学びはフル活用しています。
特に、スタートアップではキャッシュが最も重要であり、会社設立時の資本金の考え方、
初期投資にいくらまでかけるのかなど、一つ一つの判断に活かされています。

ただ、細かい手続き方法や実務までは教えてもらうことがないので、
実務をしながら学んでいることの方が多いです。

JR東日本で身につけたこと

JRでは、主に商業開発を担当していました。

身につけたスキルの中で重要なのは、プロジェクトを推進する力です。
計画の企画段階から、実際に設計、工事までを完成させるところまでを
一貫して担当することで、キレイ事の机上の理論だけではなく泥臭いところも含め、
プロジェクトが実現することだけを考えて、あらゆる手を打つことに徹底していました。

そのため、業務にかかわる知識は多岐に広がり、前述した事業計画書の仮説作りから、
投資計画の判断、プロジェクトにかかわる多くのメンバーとの折衝や
タスク管理など、大企業ならではの社内交渉など・・・
最終的には百億単位のプロジェクトも管理していたので、ある程度はできると確信しています。

今の仕事も不動産開発の延長線上でもあるので、運営面以外はほぼ同じ実務の延長線上です。
投資判断の桁が何桁も小さいという違いもありますが・・・

利用するお客さまにどんなサービスを提供するのかを想像して、
そのために合理的な店舗を創造するという点では、JRでの仕事がまさに生きています。

店舗運営の工夫点など

現在の店を運営するにあたり、工夫のポイントは2つあります。

1つは、不動産へのこだわりです。
WEBなどで空室になっているビルを探し、実際に見て、
お客さまが利用したくなるかどうかを何度も不安になりながら考えました。
というのも、都内では空室のあるビルはまだまだ多いのですが、
予算内でbeezのサービスに完全にフィットする物件を
見つけ出すことが難しく、どの物件も一長一短があったからです。

もう1つは、販促についてで、SEO対策とイベントの実施に重点を置きました。
SEO対策といっても、お金もないので、
地道に「渋谷」と「電源」と「カフェ」でブログで書き続けただけですが・・・
また、イベントについても、月に10回程度は今でも開催しています。
イベントは販促費があまりかからない中で、自分たちではリーチ
できない顧客層に認知を拡大できるメリットもあります。

その結果、当初の事業計画では、サービスの利用会員数を1,000人程度を
想定していましたが、実際は約2,200人と目標を大きく上回る成果となっています。
これは駅前の好立地と販促が効果を奏したからだと捉えています。

今後の展望と学生へのメッセージ

今後は多店舗展開を推進していきます。
創業の想いとしても、日本国内だけの展開を考えているわけではありません。
企業理念でもある働き方を変えるためには、海外にいる優秀な人材との
ネットワークの構築も重要な要素だと考えています。
また、人材のネットワークが生まれれば、人材に悩んでいる
企業支援もでき、より日本経済の活性化にもつなげられます。

今後、より働き方が多様化されるので、これからの学生の方に対しては、
どの道を歩むかを自分でよく考えた上で決めて欲しいと思っています。

その理由は、世界的な視点で、働き方の選択肢が増えるメリットがある一方で、
過酷な能力の競争にさらされる可能性もあるからです。
そういう、個の能力がより重要視される社会へとシフトされた時のために、
ベンチャーの世界でチャレンジすることも、ベンチャー以外の企業で
腕を磨くことでも、どちらの選択肢も正解になり得ます。

より自分自身を成長させ、「自分の進むべき道は自分で選ぶ」という
意志をもって、一つ一つの選択肢を選んで欲しいと思います。


株式会社シンバス 代表取締役社長 榛葉 壮士

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代表取締役社長 榛葉 壮士

代表取締役社長 榛葉 壮士

設立 2010年
事業内容
  • 業界特化型ポータルサイトの運営
  • 検索エンジンマーケティング
  • WEBサイト制作
会社HP http://www.shinbus.jp/

経営者は究極の自由

起業を考えたのは大学4年生の時でした。
完全に受かる気でいた広告代理店に、一次で落ちてしまったことが一つのきっかけですね。
その会社を受けた理由も、
その業界のイメージが格好いいからとか楽そうだからといったもので、大した動機ではなかったのです。

その会社に落ちてしまって初めて、これからどうしようか、自分は何をしたいのかと考えるようになりました。
そこから仕事というものを知る為に、インターンで東京に出るようになりました。
しかし、そこに楽しさを見出せずに結局就職を決める事はできず、このまま就職浪人かな、などと考えていたのです。
そんな時『金持ち父さん貧乏父さん』という本に出会い、
今までの自分にはなかった「経営者になる」という選択肢をはじめて知りました。

それまでは教育学を専攻していたこともあり、教師になるかサラリーマンになるかしか考えていなかったのです。
そのような自分にとって、経営者という選択肢は完全に新しいものでした。
経営者になる事が究極の自由なのだと、その時に気がついたのです。
今でも自由な人生、後悔のない人生を生きたいという想いが自分の中でとても強いですね。

後悔しない人生への決意

大学一年生の夏頃、初めての単身海外旅行でインドに行ったのですが、その時に拉致されるという経験をしまして。
そこで死に直面して、本当に死ぬかもしれないという思いをしました。
その時に死ぬ前にやり残した事を考え、とても後悔したのです。
何故好きな人に好きと言っておかなかったのだろう、
何故もっと人に感謝していなかったのだろうなど、本当にいろいろ後悔しました。

仕事に関しても同じ事で、どこの会社でも入れればいいなんて考えるのではなく、
やはりモチベーションを保てる所でなくてはいけないと思うのです。
後悔せずに自分がやりたい事をするには、やはり稼がないといけないので。

そして経営者として成功する事は、同時に人の記憶に強く残るという事でもあると思います。
自分が死んだ時、より多くの人に泣いてもらいたいじゃないですか。
その為に記憶に残るような偉大な経営者になろうと決めたのです。

想いと現実とのギャップ

経営者という選択肢を得てから、自分が出来る事は何かという事を考えたのですが、
自分に出来る事というのは喋る事位しかなかったのです。
しかし、その事が活かせる営業はやりたくなく無かったので、
短期間で営業力を身につけられる場を求めていました。
早めに辞めて企画やマーケティングがやりたいと思っていたからですね。

そんな時、偶然京都で7,8人のバイオ系ベンチャーの説明会が行われていたのを見つけました。
そこはまだ研修体制なども確立されていなかったので、教わることが嫌いな自分には丁度よく、
そこで早く営業力を身に付けようと考えたのです。
しかし、そこでの仕事は思っていたものとは少し違っていて、
一応営業ではあったのですが糖尿病に効くエキスを食品会社などに売るというものだったのです。
商品化するための時間も必要なこともあり、半年間ほど全く売れなかったので
完全に自信を失ってしまっていたのです。

営業力が上がった実感も無いまま悩んでいましたが、追い討ちをかけるように、
「榛葉は営業からはずす」と言われ、さらにバイオ系ベンチャーと して3~4年後には
上場できる会社だと思っていたのですが、
「糖尿病に効く薬ができれば可能性があるが、薬になるのは何十年か先の話だ」と聞いて愕然とし、
その会社を10ヶ月ほどで辞めることを決意しました。

起業か役員か

その後は東京に出て人材派遣のベンチャーでアルバイトをしました。
そこで、しっかり営業をやろうと思ったのですが4ヶ月で会社が潰れてしまい、
次の転職先のGMOインターネットには「この会社を辞めるときは起業するときだ」と決意して就職しました。
サラリーマンとして最後だからこそ、とにかく出世したいと思っていて、
責任ある仕事について、多くの経験をしたいと思っておりました。

そして営業として結果を出し、2年半後には、最年少営業本部長に抜擢いただいて、
3人で新たな部署としてスタートしました。
最終的には60人程の部署になり、その間に多くの失敗をし、
逆に自分のビジネスアイデアが形になり、世の中に広がっていく成功体験もできました。

ひとつの区切りが来たなと感じたときに、
ここから先は、役員を目指すか起業家になるかのどちらかだと考えました。
しかし、どちらが後悔せず夢のある人生かと自問自答した時に、起業することに決めたのです。

起業して数年たった今思うことは、経営者と管理職との「心のあり方」の違いは感じます。
管理職であったときは、自分の将来のため、同じ組織の仲間のため、会社のため、を考えていました。
ですが、経営者として今は、世の中に大きな変化、
革新をもらたらすため、その大きな夢を仲間と分かち合うため、
と考えるようになりました。
世の中に必要とされる会社になりたいと強く思います。

全てのニーズに全ての答えを

自分の中では、最終的に全てのニーズに対して全て答えるという事を考えています。
一つのニーズとして検索が挙げられますが、検索とは何か聞いてくるという行為ですよね。
Googleなどはニーズに全て答えているのではなく、ただ並べているだけです。
「渋谷 パン屋」と調べても「渋谷のパン屋だとここがお勧めだよ」という事を全て答えられてはいないのです。
それに対し私達は分かり易く、全てを答えるという事を目標としています。

同じ様な事をしていらっしゃる他社との違いは業界全体ではなく、
質問をする人、一人一人を考えて答えたいという所。
たとえ一人しかその事を質問しなくても、それに対してどうにかして答えられないかという事を考えています。

一人一人に対して、答えを返していくことが、
必然的にオンリーワンのサービスを創り出すことにつながっています。
お客様もだからこそシンバスを選んでくれているのです。
一日でも早く、世界中の一人一人の想いに答えられる会社になりたいと思います。

今後の展望と学生へのメッセージ

会社のビジョンとして「世界一創造に挑戦する企業」という言葉を掲げています。
一人一人の細かい質問に、本の様な良質な回答をする。そんな「超ニッチ企業」を目指していますね。
海外においても同じスタイルで言語に合わせたマーケットを確立させられたらと考えてはいますが、
まだ国内での成長が目標です。
今は営業15,6人ですが、2年以内に50人に増やしたいところですね。

学生の方には、「うちに来て」と言いたいところなのですが(笑)
自分の能力を最大限伸ばし続けたい人、そんな人がベンチャーには向いているでしょうね。
よく僕が使う言葉に「茨の道は薔薇の道」という言葉があります。
足元がどんなに厳しく痛い道であっても、その茨が多いほど、目線を上げればそ
こには薔薇色の人生が広がっているはずです。
だから、若い人は是非厳しい道を歩むべきだと考えています。
その為、大変な場所で働くことを勧めますし、
その一つとして、うちの会社は十分に該当するのではないかと思いますね。

株式会社クイックコンサルティング 代表取締役 添田博之

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代表取締役 添田博之

代表取締役 添田博之

設立 平成20年7月
事業内容
  • 全国主要都市オフィスビル賃貸仲介、事業用不動産の賃貸仲介及び売買仲介コンサルティング
  • 不動産管理ならびに企画コンサルティング
会社HP http://www.quickconsulting.jp/

起業意識の芽生え

小学生の頃から漠然と起業を考えていたのは、生まれ育った環境が大きく影響しています。
商売をやっている家だったので、家業の手伝いをしたり、
経営者仲間と親の会話を聞くなど、「経営」というものを常に身近に感じていました。
また、子供の頃からずっとスポーツをやっていて、その中でもメンバーをまとめる、
気遣うなどのリーダーシップがあったと思います。

ただし、「仕事=起業」という気持ちではなく、数年は企業に属して学び、
自分に自信がついてから起業しようと考えていました。
そのような意識が強かったので、
大学時代には、経営について書かれた本を読むようになっていました。

起業するにあたって大事なものは、意志の強さだと思います。
「何としても」と言う意志・決意が、創業時の困難を乗り越えられた要因でした。
意志・決意が固まらなければ、思いとどまるでしょうし、その程度であれば
起業しない方がいいと思います。
また、親や身近な人に、起業を反対されるかもしれません。
それを乗り越えられたなら、起業へと突き進んでいけるでしょう。

就職と独立

就職に関しては、起業を視野に入れて不動産会社に入社しました。
その会社に3年ほど勤めたら独立するつもりでしたが、どんどん仕事が面白くなり、
結局13年も在籍しました。
ただし仕事が面白くなっても起業への思いは変わらず、
社内においても「いずれは自分で会社を立ち上げる」と公言していました。
そして、「いつ起業するか」と自問自答し、35歳を起業目標としました。

起業の準備が整ったのが2008年春。
その後、リーマンショックが起こり、周りからは「今は大変だろう」と言われました。
しかし、私の中には「やるぞ」という気力が満ちあふれていたので、
何も変えることなく起業へと踏み切りました。

組織拡大と責任

私と事務スタッフの2人で会社を始めてから5年が経ち、現在の社員数は27名。
会社規模が拡大して、経営者としての責任は大きくなりましたが、
その分、支え合うパワーが増して安定感が得られました。
「人が多くなると、リスクや危機度が高まる」と言いますが、
少人数でやっている頃のほうが、ダイレクトにリスクを感じていたと思っています。

現在は人数が増えただけではなく、拠点数も4か所になりました。
ダイレクトに目の前で指示を出したり、話を聞くことが難しい時もあります。
しかし、私と同じ方向を目指し、私の思いに共感しているメンバーが揃っているので、
円滑に事業を行うことができます。

もちろん社員それぞれの考えもありますし、口に出せない社員もいるでしょう。
また、常に同じ考えであるとは思ってもいません。
大切なのは、皆がこの仕事に魅力を感じ、自分にとってメリットがあると感じられるかだと思います。

起業家輩出

会社を立ち上げた時から、「起業家を輩出できるような会社にしたい」という
ビジョンを持ち続けてきました。
これは「輩出を目指している」のではなく、「起業家となり得る人材」の集団を目指しているのです。
仕事で結果を出したり、自分の意見を明確に表現できるようになると、
自然に「起業したい」という気持ちが出てくるはずです。
そのような意識を持つ人材の集団にしていきたいと思ています。
将来、起業への強い意欲があり、独立を望むのであれば、
何らかの形で、応援していきたいと思っています。

リーダーの育成

起業から5年、これから当社は本格的な成長期に入ります。
今までは私が先頭で旗を振り、率先垂範型やってきましたが
今後の拡充のためには、各拠点の役職者を中心とした、
リーダーを育成する必要があります。

但し、リーダーといっても、「こうあるべき」という決まりはありません。
リーダー像はさまざまであり、リーダーシップも一種の個性であるからです。
部下の目線で考えると、厳しく指導されるのが好きな人もいれば、
おだやかな上司が好きという人など、どのようなリーダーに共感するのかは人それぞれ。
地域性や年齢、性別などによる違いもあるでしょう。
私の役目は、将来を見据え組織成長の為の人員配置です。
自らの経験と外部情報を踏まえ、状況を見ながらマッチングしています。

周りの評価を受け入れて成長を

「自分はこういう人間だ」「こうなりたい」「やりたいことはこれだ」などと、
自己評価や自分自身の答えに、固執しないことが大事。
社会人になると、明確に周りから評価されるようになるので、
評価されることを意識し、素直に受け入れることが成長の第一歩だと思います。
そして、自分で下した自己評価と、周りからの評価が一致した時こそ、
一人前になったと実感できるはずです。

仕事をする中で巡ってくるチャンスは、周りの評価によって左右されるもの。
「チャンスは自分自身でつかんだ」と思うかもしれませんが、
実際には周りの評価がなければ、チャンスを得ることはできません。
自分が思うようにやりたいのであれば、評価の目を意識するべきです。
すべての物事の始まりは、そこからだと思ってください。

株式会社アントレサポート 取締役社長兼coo 鈴木正秋

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取締役社長兼coo 鈴木正秋

取締役社長兼coo 鈴木正秋

設立 1995年6月
事業内容
    • 事業家・SOHO・個人事業家向けインキュベーションセンター事業
    • レンタルオフィス事業
    • バーチャルオフィス事業
    • ビジネスサポート事業
    • 不動産有効活用事業
会社HP http://www.entre-support.co.jp/

外資系にはない受付秘書サービスを

当社はレンタルオフィス事業を主軸としているのですが、
14年前に渋谷で起業したころは同業他社は数社ほどでした。
そのころは起業する資本金が最低でも株式会社1,000万円、有限会社300万円という時代で、
資金がないと起業できないという環境でした。
そういった中でオフィスやOA機器なをシェアするという
レンタルオフィスが起業を支援できるのではないかという発想から始まりました。

当社の創業時は渋谷ビットバレーと呼ばれ、
IT系の企業が渋谷に多く進出しているという時代でした。
IT系企業がコストを大幅に抑えて起業するケースが多く、
そこでお役立ちできると考え渋谷で起業致しました。
弊社はレンタルオフィスを始めた際に、最初から受付秘書を常駐致しました。
受付秘書がいて会議室があり、広い個室があってというのは外資系のビジネスモデルで、
それらは利用料金が高く、起業家向けというよりは外資系の日本進出のための
準備室など資金的に余裕のある企業が対象のように見えました。

当社はインキュベーションセンターとして
起業家の応援を大きなミッションとしていましたので、
レンタルオフィスなどのサービスを出きる限り安価に抑えました。
また杓子定規な受付ではなくて、お客様とのコミュニケーションを大切にし、
レンタルオフィスをご利用頂くお客様の社員のような受付秘書スタッフを育て
常駐させていることが創業時からの特色です。

血の通ったコミュニケーション

受付秘書スタッフは秘書の教育を受けた専門の秘書スタッフを常駐させ、
お客様の社員として、来客・電話応対をしております。
お客様の商品やサービス、会社概要などを事前にヒアリングを行いますので、
スタッフが知識を得てからの電話お応対になりますので、
お問い合わせに対しても細やかな応対ができるようにしております。
また、お客様と受付秘書スタッフとのコミュニケーションを大切にしておりますので、
社長業とは孤独になりがちですが、「いってらっしゃいませ」「お仕事いかがでしたか」などという
お客様を気遣い一声があるだけで、気分転換になり、安らぎの空間になります。
その様な受付秘書スタッフが居るレンタルオフィスを創っていこうということで
14年前に開業して現在に至っています。
大方の外資系はそういうものではなく、事務的な対応がほとんどですので、
血の通ったコミュニケーションというのは当社の特徴です。
建物などのハード面はなかなか変えられないものです。
ですがソフト面に関しては創意工夫を行うことで付加価値が生まれるのではないでしょうか。
そういったソフト面を14年間培ってきて、そこが当社の強みだと自負しています。

本業に専念できる環境創り

起業の場合潤沢に資金があれば、社員やオフィス、
備品を揃えてスタートすることができますが、
その様なケースは限られた起業で往々にして
資金的に厳しい状況でスタートする起業家が多いものです。
当社のようなレンタルオフィスを利用するのは選択肢のひとつとなります。
また一人で起業した場合、間接的な分野の経理や事務、
社会保険関係も自身で行わなければならず、労力と時間を要します。
当社では受付・秘書業務とは別で税務、労務、法務など
税理士や弁護士など専門家と提携しておりますので、
総合的なサポートがワンストップでご提供出来ます。
本業に集中し早期の収益拡大をめざし、わずらわしい業務をご依頼ください。
例えば税理士による毎月の試算表は経営指標となり、事業の収益性や資金繰りなどの把握に役立ちます。
税務のプロの税理士が行う記帳サービスですが、領収書や通帳のコピーなどを送るだけで
プロの税理士が作った試算表が成果品として納品されます。
起業家の方は営業、あるいは技術開発など自分の強みに一番時間を使え、
結果として会社の早期発展へと繋がります。
低コストのアウトソーシングがワンストップで行える当社のサービスは起業家に喜んで戴いており、
インキュベーションセンターとして起業家を応援することが当社のミッションと考えています。

地域の活性化と、新たな視点の異業種交流会

当社のアントレオフィス渋谷は渋谷の円山町にあります。
地域、文化に貢献できる事は無いかと考え、数年前より花街、芸者さんの応援を始めております。
渋谷区円山町は以前は花街でした。三味線、小唄の音色が聞こえる粋な街でした。
大人の社交場として粋な大人が闊歩していました。
芸者さんは着物は勿論ですが、三味線、小唄、踊り、都都逸など日本文化の集積であり、
外国人から見た日本の観光資源としてニーズの高いソフトだと思います。
花街再生、芸者さんを応援している活動を行っています。
また、当社では、勉強会、セミナー、交流会を開催しており、
通常、異業種交流会は、名刺交換で終わり、次に繋がるかと言えば
そうでもないことが多いと思います。

当社では異業種交流会の視点を変え、若手経営者を集めお座敷大宴会を開催しました。
名刺交換会だけで終わらず、仲良くなり次に繋がる仕掛けを行っています。
次に変わった異業種交流会といえば、以前は六本木のレストランで陶芸交流会を行いました。
2本立ての企画となり、1回目は陶芸でワインカップをつくり、
2回目に自分たちでつくったワインカップでワインを飲みながら交流しました。
趣味で集まった交流会だからこそ参会者同士が親しくなり、
名刺交換だけに終わらず、次に繋がっていきます。
異業種交流会の視点を変えて企画していくことが目下の課題です。

学生へのメッセージ

「ぶれないこと」が一番大切だとお伝えしたいです。
少しやって駄目だから辞めた、では仕事に限らず他のことでもそうですが実にならないということです。
「ぶれない」といいましても、微調整をしたり対策を練ることはもちろん大切です。
起業したいという学生の方は、ぶれずに努力を継続し続けていくが大切だと思います。
いろいろと苦難もあるかと思いますが、継続することが廻りからの信頼にも繋がり、
実績になっていきます。

当社のお客様で、もの学生ベンチャーの方がいましたが、
いつの間にかフェイドアウトしてしまうケースがありました。
理由を聞いてみると「良いときはサークルのノリで仲間が寄ってきましたが、
悪くなると仲間が去っていき、事業が滞り、撤退することにしました。」という話でした。

その結果、取引先などに迷惑を掛け、社長様自身も借金を背負うことになりました。
スタート時点はサークルのノリだったとしても事業を行い、
廻りの企業や顧客を巻き込んでしまうと立派な事業となり、
止める際に廻りに迷惑を掛ける場合が多くあります。
そんなときは精神的にも大変かと思います。
ですが良いことも悪いこともあるのが成功するということを念頭に置いてがんばって頂きたいです。
立ち止まったときに、原点を忘れずに貫き続ける覚悟を持って励んで頂きたいです。

株式会社スペーストラスト 代表取締役社長 平山 仁

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代表取締役社長 平山 仁

代表取締役社長 平山 仁

設立 昭和53年3月1日
事業内容
    • 貸ビルの企画コンサルティング
    • 建築設計・監理・工事
    • 不動産の仲介
    • 貸ビルの総合管理(プロパティマネジメント、保守管理)
    • 貸ビルの経営
会社HP http://www.spacetrust.co.jp

社長になるまで

学生生活は幼稚園から高校まで一貫のインターナショナルスクールで過ごしました。
中学校の時からオートバイや車に興味があり、高校時代は一生懸命アルバイトをしていましたね。

大学では国際経営、経済を専攻しました。
専攻の理由は、慣れ親しんできた「英語」と経営者だった父の姿を見ていたので興味があったからです。
卒業後には、国産自動車メーカーのディーラーで営業職に就き、成績も人並み以上でした。

営業マンとして1年半勤めた後は、クラッシックカー愛好家の集まりで知り合った人と、
新しいビジネスモデルの靴販売店事業を始めることになりました。
社員4名の小さな会社だったので、接客はもちろん、仕事は経理以外何でもやりました。
会社員時代とは違い経営にも携わることで経済の動向にも敏感になり、面白かったですね。
しかし、一方で自分の未熟さを思い知り、経営者の勉強を積むためにフランスの大学院に進学します。

大学院では論理的な思考が身についたことが一番の収穫でした。
帰国後は靴屋の経験から「0から1を創る」楽しさを知っていましたので、
ベンチャー企業を狙って就職活動を実施。
そして、設立6年目のネットリサーチ会社に入社し、企画営業の仕事に就きました。
車や靴といった「物」の力に頼ることなく、
仕組みを作り出して商売する形を学びたいと思ったからです。

ところが、仕事を始めて1年が経過した頃、父が59歳で他界。
もともとは会社を継ぐつもりはありませんでしたが、
オーナー家が関与せずに会社を継続させる準備は出来ておらず、
さんざん迷いましたが会社を継ぐ決断をしました。

独自のフィールドで戦う!当社の強み

主な事業内容はビルのプロパティーマネジメントやメンテナンスなどの管理や、
物件の紹介などの仲介事業をやっています。
一言でビル管理と言っても様々な種別がありますが、当社では大手企業がやりたがらない
「ソシアルビル」(バー・クラブ等が主なテナント構成のビル)に特化した事業を展開しています。
ビルの主な稼働時間が夜であり24時間の管理体制が必要なことなど、
他社が参入してきたがらないのですが、そこに当社の存在意義があると思っています。

大手上場企業がやりたがらない理由として他に考えられるのが、
通常のビル管理に比べて業務が煩雑なことや、各種トラブルが多いこと。
また、当社が管理するビルのテナント属性を考えると、
他社からすれば得たいの知れないところがあることなどが挙げられると思います。
だからこそこの分野において、長期にわたって安定した事業を
継続させてもらえていると思っています。

そもそも一昔前の考えではビルには常駐の管理人を置くことが管理においては大前提の話でした。
しかし、それでは人件費などのコスト面が問題となります。
当社では各街に拠点を置き、「管理センターシステム」を敷いています。
ただ、このシステムもエントリーバリアとなっています。

当然、拠点を構えたならば、人件費を含めた様々な経費がかかります。
規模の経済の原理で、ある程度管理棟数を抱えていないと利益は生み出せない訳です。
初期投資がかかるうえ、相当数の管理ビルを獲得して損益分岐点を突破するまで時間がかかり、
会社の体力が持たないことなどが参入を難しくしています。
長い業歴と他がやりたがらなかった種別に特化してきたノウハウから、
当社だけが出来る仕組みなのかもしれません。
そこが他社と明確な差別化要因であり、戦略的優位性と成っている点ですね。

社内に新しい風を!完全実力主義を採用

先述した通り、事業内容はソシアルビルを24時間365日ビルを管理すること。
その事業を維持していく為には専門性や方向性の違いや、
夜勤を含む勤務体系など、少し異なる条件での人材の確保が必須です。

そこで、新しく良い人材を確保する為にも年間を通して人材採用を行っています。
スキルや能力に関しては入社時に特に求めませんが、
ストレス耐性が強いかどうかは重視しています。
常にビルオーナーと入居者(店舗)側の板挟みになりますので、
大変なことも多いかと思います。

また、社員のモチベーションを維持するにも幾つか工夫している点があります。
まずは所得、福利厚生などの待遇面。
社員は生活を懸けて仕事をしていますから、
得られる報酬の額というのは当然モチベーションアップに繋がります。
具体的な数字は言えませんが、上場企業の平均給与額よりは多く支給していますね。

次に年功序列、古い給与体質などの制度を撤廃しました。
社長就任当初はこれらの制度が残っており、
「何もしなくても年月が経てば自然に上に上がれるんだ」という意識が蔓延していました。
そこで、社員のやる気を奮い立たせる意味でも完全なる実力主義を導入しました。
昇格、昇給、もちろん時と場合によっては降格さえもあり得ます。
頑張れば頑張った分だけ評価される…そんな会社にしていこうと考えています。

経営者としての苦悩

実力主義を導入したからには、働きぶりによって
会社のトップとしては「イヤだな」と思っていることも
伝えなければいけない場面も出てきます。
指導や教育で終わる程度なら社員を叱咤激励して奮起させて、
また頑張ってもらえれば良いのですが、場合によってはもっとイヤなことが出てきます。
その最たる例としては、社員に会社を退いてもらわなくてはならない時です。

社長というのは、グループ会社や協力会社などを含めた
何百人という子供を抱えた「一家の大黒柱」のような存在です。
しかし、当然のことながら社員は子供ではなく、
生活をしていかなくてはならない大人なんですよね。
中には結婚して子供がいる者、親の生活を支えている者もいるでしょう。
つまり、その社員だけの生活だけではなく、社員の家族の生活までも含めると、
恐ろしく多くの方の生活に関わっていることになります。

その中でも厳しい決断を下さなければいけない。
命や生活を預かっている身としてはとても辛い決断になりますが、
それでも決断を迫られるという大変さが社長業にはあると思います。
父も言っていましたが、いざ何百人の会社の社長に就任してみると、
その責任の重さを実感しています。

ハイエンドなプロフェッショナル集団を目指して

今後の展開についてですが、新しい事業を始めることに力を注ぐというよりかは、
暫くは今やっている事業を継続に集中して行きたいと思っています。
ですが、ただ継続していくといっても
今までと同じことをやっていれば良いという風に考えている訳ではありません。
「スペーストラスト」というブランドをより強固にしていけるように考えています。

具体的には高い専門性を持った、ハイエンドなサービスを提供出来る会社を目指しており、
それには「人」が全てだと思っています。
そこで「人材育成」と「強固な組織作り」に力を入れて取り組んでおります。

人材育成という面においては、個々のレベルアップが欠かせません。
そこで当社は専門性を強めるという点でも各種資格取得を応援しています。
また、ビル管理は定型的な業務や商品の提供では無く、
お客様にご満足頂けるサービスの提供であるため、
何をするべきかは常に考えなければいけません。
その為、能動的に動けることや、強い思考力を社員には求めています。

組織作りに関しては、実力主義を一貫して行い、
やる気、能力のある社員を上に立たせていこうと思っています。
そして、下の社員にも「やる気次第でのし上がれるんだ!」という
意識を植え付けることによって、会社全体がエネルギーに満ちた、
活気溢れる会社にしていきたいですね。

とにかく全力で走る!

とにかく全力疾走する癖をつけて下さい。
勉強でもバイトでも、遊びでも何でも構いません。
大事なのは全力かどうかです。

組織の中に入って自己実現する為には皆と同じでは意味がありません。
頭一つ抜きんでる為にも、まずはチャンスを獲得することです。
そのチャンスも頑張っているからこそ気づき、掴めるものです。
だからこそ多少苦しくても全力疾走を続けなければいけません。
全力疾走だからこそ得られる経験や知識、見えてくる世界があるからです。
これらを踏まえると、これから社会に出ようとされている方にとっては、
まず20代の過ごし方で大きく差が出て来ます。

20代は知識や経験等のパーツが頭の中でバラバラな状態。
30代は新たなパーツを集めつつ、徐々にパーツが整理され、
それぞれの関連性が見え、パーツが小さな集合体と成ってくる。
その後各集合体は新たなパーツが足されたり、他の集合体と融合し、
大きく複雑な物へと進化していく事を続けていきます。
パーツの集合が一定レベルの完成度に達し、
大きな結果が出せるようになるのは40代になってから。
だから20代はひたすら走り続け、貪欲に知識や経験を貪っていれば
何で頑張るかは問題ではないのです。

また決して損得勘定だけで動いたりしないこと。
短期的な目で見れば意味のないようなことでも将来的にどう繋がるかは分からないからです。

社会では自分で考えて行動に移せる人物が求められます。
もう一つ大事なのはどれだけ周りから頼られる存在になれるかどうか。
人の上に立つ人物は決してスタープレイヤーばかりではありません。
僕がマネジメントポジションに選ぶのは周囲のことを気遣い、
自分の利益だけでなく、周りの利益も考えて行動出来る、
「情けは人の為ならず」が体現出来る人です。
すぐに評価されなくても継続的に全力で頑張っていれば
意外と多くの人が見ていてくれるものです。
どんな仕事であっても、自ら選んで仕事に就いた以上、
3年以上はエネルギーを思いっきりぶつけてみて下さい。
そしていつでも、どこでも、何でも「全力疾走」。
それが一番大事だと思います。

株式会社アンデザイン 代表取締役 佐々木 博一

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代表取締役 佐々木 博一

代表取締役 佐々木 博一

設立 平成13年10月11日
事業内容
    • グラフィック・空間・WEB等におけるセールスプロモーションデザイン
    • 博物館・科学館等の空間グラフィック
    • 住宅・店舗等のデザイン・設計・監理・施工
    • 店舗設計
会社HP http://www.andesign.co.jp/

「好き」の想いから、デザインの世界へ

昔を振り返ると、父親が個人事業をしている職人であった事や、
親戚に経営者が多かったため、幼い頃から「社長」という存在に
影響されていたのかもしれません。
しかし、当時は社長になろうなどという意識は無く、絵が好きで、
好きな事をしたいという想いしかありませんでしたね。

その、絵が好きという所から、社会人1,2年は自分がやりたいと思っていた
グラフィックデザイナーとしての活動していました。
その後はビックサイトや博物館の展示等を行いつつ、
上司の影響で設計を少しずつ学んでいったのです。
それが、大体6年間くらいですかね。
グラフィックから空間の方へ、建築という世界に入っていきました。

この業界は締切商売とも言え、大きな事業であればあるほど
締め切りに追われて徹夜生活になるといった、つらい部分も持ち合わせています。
寝る時間を確保するために、山手線での移動時間を利用して睡眠時間にするという事もありました。

独立の経緯と、会社としての強み

独立する前、自分の売り上げと給与がなかなか見合わない状況だった事と、
デザイナーという職の人々は独立志向が元々高い事、
そして「若い」という理由だけで理不尽に一喝された事があり、
それらが合わさって独立の道を選ぶこととなりました。

改めて自分の強みを考えたとき、
空間とグラフィック両方のデザインを行えるという点が出発点となりました。
その二つを合わせた時、会社として何か新しいものが生まれるのではないかと考えたのです。

独立当初は一般的なデザイン事務所として動いていたのですが、
様々な部署が出来るにつれ、それぞれの特徴を生かした部署作りを目指し始めました。
一般的なデザイン事務所は、扱う商材によって部署が分かれています。
しかし、それらの部署間を横断して繋ぐことを考えている会社は少なく、
それができている点が当社一番の特徴でしょうか。

仕組みへのこだわり

自分の得意分野はありつつ、他に興味のある事に対しての力も伸ばすことができる。
これが当社で働くことのメリットと言えるでしょう。
例えば、建築を得意とする人でありながらグラフィックが出来る人、
グラフィックを得意としながら図面が読める人、
この二人が同じチームになった時、そこから生み出されるものはとても面白いものになるのです。

当社には、これらのことを可能にする仕組みがあります。
例えば、一つのプロジェクトがあった時、
それにあたるチーム全体で完成形を共有するようにしています。
その共有方法も、直接のコミュニケーションにこだわっています。
パソコンの前で考え続けるのではなく、言葉によって、
あるいは実際に手書きのスケッチなどに起こして行うようにしています。

様々な分野のプロ集団を作る

自分自身が多くの事柄に対して好奇心旺盛だった事、
それが今の当社の状態を作り出した要因であると思います。
しかし、何にでも対応する「何でも屋」にはなりたくありません。
あくまでも様々な分野を扱いながら、それらの分野のプロでありたいのです。

独立してしばらくは、私自身が当社の代名詞的な存在となっていましたが、
私だけでは全てのプロになる事は出来ません。
そこから、チームが持っている得意な部分を伸ばし、様々なプロ集団を作る事を始めました。

このシステムが動き出すようになると、新しいクライアントもどんどんつくようになりました。
今、大手企業からお仕事を頂けている理由も、このシステムにあると考えています。

これまでにないサービスを

これからのビジョンとしては、ソフト面だけでなくハード面を充実させていきたいと考えています。

増やしたいハードとは、例えば不動産など。
一般的な不動産仲介ではなく、人の暮らし周りのデザインを
多く扱っている当社の特徴を生かしたものとしたいと考えています。
人の暮らし周りを突き詰めて考えると、最終的には住宅に行きつくと思うので、
その目標に向け準備をしている段階です。
実際、建築関連の子会社も設立しました。

最終的には、当社からイノベーションを生み出すことを目指しています。
既存概念にないサービスを確立し、
会社のブランド力を高めていく方法を、常に探し続けていますね。

求める人物像と学生へのメッセージ

コミュニケーション能力が高い人、そのような人を当社は求めています。

実際にデザイン業界に入るとなると、
学校などで学んできた内容とは違うところもあるでしょうし、
仕事ができるようになるまで時間がかかります。
その為、当社では入社時の経験はあまり重視していません。
仕事に対する能力よりも、人と接するときに必要となる能力を重視しています。

見ていると、若い人であっても、自分の立ち位置を理解し、
集団の中で自身の役割を全う出来る人がいます。
この能力は、学生時代の生活の中で培ってきたものなのでしょう。
だからこそ、サークルやクラスの中、
様々な活動に参加することが大切なのではないでしょうか。
学生時代でなければできないことはたくさんありますので、
様々な経験をしておいてほしいと思います。

株式会社日本ウェルスマネジメント 代表取締役 下井 秀文

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代表取締役 下井 秀文

代表取締役 下井 秀文

設立 平成17年5月
事業内容
    • プリンシパルインベストメント事業
    • ソリューション事業
    • ファンド事業
    • ディベロップメント事業
    • インシュアランス事業
会社HP http://www.n-wm.co.jp/index.html

突っ走った20代

中学・高校の頃は世間や学校に対し、私は斜に構えていました。
下井家は旧家であり、一方、親戚に医療関係者も多く
漠然と将来は開業医になるだろうと考えていました。
しかし、広い社会のことを何も知らないまま老いていくのが嫌だと感じたのです。

学校含めて周囲は東京大学に入るのが偉いという感覚。
私はそもそも東大自体には魅力を感じられなかったのですが、
そこまで周りが言うなら世間でトップと言われているレールに乗っかってやろうと、
東大を受験しました。早稲田大学に関しても同様で、早大称賛でしたので受けました。
結果早大合格となりました。合格したことで「もういい」と思い入学後すぐに休学。
東大を再受験することになります。

自分にとって早稲田は2番手の存在でした。
そこに甘んじるわけにはいかなかったんです。
しかし、その態度は父の逆鱗に触れることになり、早大を辞めることとなりました。

その後、学校には行かず、ディスコでアルバイト。
業界最年少で水商売の経営や日サロの経営など数々の伝説を残してきました。
しかし、その時の私は自由という言葉を履き違えていたんです。
自由とは、法律や道徳といった世間的な縛りの中にこそあるもの。
思うままにやっても何も面白くはなかったことに気付いたんです。

そして30歳を目前にサラリーマンの経験をしたいと、不動産業界に飛び込む事となります。

不動産の魅力

私は特にやりたいことがなくて、
自分で何かこういったビジネスがやりたいというのもありませんでした。
そこで逆に少しでも分かるものは一体何かと考えた結果が、不動産だったんです。
旧家ですから、土地持ちであり、大家業でもある訳です。                    
当時、不動産は自分に向かないのではと考えていました。
しかし、私が想像していた以上に不動産ビジネスは面白いものでした。

私たちの仕事は、物件を購入し、リノベーションし、お客様に届けるといった内容なのですが、
私たちが見立てた通り、またはそれ以上の結果が出た時は
「得も言われぬ達成感」を感じることが出来るんです。
それが非常にやりがいがあり、私が不動産をやって良かったと感じる部分ですね。

また不動産はこの世に二つと同じものがない商品です。
その所為か生き物ではないのに、生き物だと感じる時があるんですよ。
それが理屈では語れない縁を生み、私たちを通してお客様と不動産がめぐり合う。
「奥が深い仕事」だと思いますね。

独立へ

サラリーマンとして勤めていた私は、1年半ほど経った頃ある理由で退職を決意しました。
サラリーマンとしてのいい部分と悪い部分がある中で、
悪い部分が私に付着していく危機感を感じたからです。
そもそも私には、サラリーマンは向いていないと自覚していました。
あまり協調性がある方でもありませんし。

それでも会社に勤めていた私でしたが、
ある時ふと「給料をもらう」ことに疑問を持たなくなり始めている自分に気付いたんです。
「給料は自分で稼ぐもの」
そう考える私にとって、毎月決まった日付に渡される給料を
何も考えず受け取ることは、とても恐ろしかったのです。
特に独立して自営業をやろうと考えていた身としては、雇用を保証され、
給料を保証されている環境に慣れてしまうのは良くないのではと考えていましたね。

しかし、サラリーマンとして働いた1年半は、私の中で重要な財産となっています。
実際にサラリーマンの経験をして来ていない起業家の方とお話をすると、特にそれを実感します。
出来るだけ長く経験するのが本当は良いのかも知れません。
人脈作りにもなりますし、部下の気持ちや組織の作り方も分かるようになるので。

独自の土俵で足場を固める

そもそも私が現在の事業を始めようと考えたのは、「リーマンショック」が転機となっています。
それまでハイリスクハイリターンが中心でした。
しかしこの形態は、景気が悪化すると共に仕事が無くなってしまいます。

そこで「少ないリスクで一定程度のリターン」を得られる事業を、
柱の中心の一つとして据え置く必要がありました。
それで私たちは中古のマンションを買い取り、手を加え、
売却するといった事業を軸の一つとして育てていこうとしています。
将来性としては、今後大いに伸びていく市場なのは間違いないと考えています。

他社との差別化としては、2点あります。
東京だけでなく、神奈川、埼玉、千葉の奥の方まで積極的に手掛けている点と、
定性・定量分析に基づいた素早く精度の高いプライシング力です。
基本的なことですが、確実に違う部分です。

私たちの様に小所帯ながら、遠方にまで手を伸ばそうとすると
適確なマネジメントが無いと1日掛かりの仕事になってしまうことがあります。
これでは採算を取ることが難しく、他社も中々に手を出せないでいます。
しかし、私たちは営業効率のコントロールに秀でているため、
そこに手を出すことが可能なんです。

年商200億へ

目指す先は創業時から現在まで何も変わっていません。
「年商200億の突破」です。
200億は、私がサラリーマンとして勤めていた当時の会社の年商です。

この規模の会社だったら私でも作ることが出来るのではないか。
そう思ったのが始まりでしたね。
そしてそう思ったのなら、「目標を達成する」それが自分との約束でした。

200億達成の計画として、80億を中古マンション事業で、
120億を都心の1棟ビル事業で目指す考えです。
今は仕事の9割が中古マンション事業ですが、
1棟ビルの事業も動き始めているので、並行していく予定です。

人材はこれから事業を拡大していく上でとても重要となってくるのですが、
中古マンション事業というのはシステマチックな部分があり、比較的簡単です。
なので業界に染まっておらず、
素直さとやる気がある若い人物が中心となってやってくれたらと考えています。
1棟ビル事業の方では、業界の経験や人脈などが必要になってくると思います。
20から30代の方で2、3名、人間力が高い人を増やしていきたいですね。

人生のスタンスを明確に

自分の中に「哲学」を持つことが大切だと思います。
その結果として、自身の人生のスタンスが明確になります。

人生のスタンスというのは時間と共に変化するものですが、それもまた構いません。
他人に対してではなく自分に対して明確である事と、
「どういう風に自分が生きるか」
何となく生きるのではなく、その方針をしっかりと持つことが大事なんです。

そして自分の哲学を生み出すためには、自己分析が必要になってきます。
それも徹底的にかつ常にやってほしいです。
他人や世の中に対しても客観的に、日々意識して見る。
全てのことに視野を広げ、1つ1つしっかりと思考する。
それが哲学を生む、いいきっかけ作りになると思いますよ。

B・M・T Group株式会社 代表取締役社長 池角 昭智

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代表取締役社長 池角 昭智

代表取締役社長 池角 昭智

設立 2004年9月14日
事業内容
    • 貸会議室の運営
    • 広告・宣伝に関する企画制作及び商業デザインの企画制作並びに広告に関するコンサルティング業務
    • トータルオフィスプランニング業務
    • アウトドアスポーツの企画運営
    • ウェブサイト「移転コスト.com」の運営
会社HP http://www.bmt-group.co.jp/
移転コスト.com http://www.itencost.com/

代表になった経緯

きっかけは、23歳の時に勤めた都内の不動産会社で気の合った仲間と出会い、
数名の仲間と貸しビル仲介業の会社「リアライズ」を立ち上げました。
当時は仲間一人一人の意見を取り入れて少しずつ会社が大きくなることに喜びを感じていました。
しかし、この貸しビル仲介業を営む中で、不景気による経費削減のため、
やむなく社内会議室を手放す企業様の状況を目の当たりにしてきました。
また、ビルオーナー様との接点も多く、
テナントが決まらず困っている声や空室をなんとか有効活用したいと悩む声を聞き、
そんな中で何か周辺事業の一環としてビジネスチャンスがあるのではないかと考え、
新しい事業を独自の展開でチャレンジしたい。社長になって経験とノウハウを生かしたい。
と考えて必要な時のみ利用できる貸会議室会社を立ち上げることになりました。

立ち上げ当初は、当社が貸し会議室を直接賃借しながら運営し、
集客・予約・管理運営の全てを一から勉強する日々。
売り上げが家賃に満たないという赤字経営が2〜3年続きました。

しかしその後、
経験と実績とノウハウを身につけた当社は更なる独自の運営スタイルで会場を増やしてきました。
また、得意分野を持ち寄って低リスク展開を確立し当社・備品レンタル会社・ビルオーナーとの
三者共同事業という新しい運営スタイルに発展させました。
2〜3年の間に培ったノウハウと遣り繰りと考え方がここに活かされています。

現在では関東・九州・関西を含め約30会場を運営。
ビルオーナー様と当社の二社で事業を進めるシステムの加盟店制度や
当社が前面にでてお借りする代理店制度を導入し
独自のノウハウで会場数の拡大と利用集客の大幅な獲得へと進化してきました。

いかに費用と人手をかけずに多くの会場を回すのか

いかに費用と人手をかけずに多くの会場を回すのか、
ここに当社のノウハウと考え方が生きています。
手間ひまも今のまま、人も増やさず、会場数は倍にしたい。
それができる方法は、と考えた時に加盟店のシステムが生まれました。
会議室の運営は加盟店さんに任せ、
外部集客はSEOのノウハウを活かした独自スタイルのWEB集客を行います。
内部ではグループ会社を含めた顧客への集客活動も行えました。
こうすることで、最小限の手間と人手のみをかけ、貸会議室の数は増やす、
という次の段階に進む事がことができました。

儲かって人を増やすより、利益は今いる社員に還元したい。
ですから当社の給料は、この事業には珍しい歩合制です。
だからといって契約を取った社員一人の給料を上げるというのではなく、
会場に対して愛着をもってみんなでフォローをし、
全員に歩合が還元されるような仕組み化をしております。
努力した分は目に見えて評価されるからこそ、
社員は限られた人数でもモチベーションを高く保つ事ができるのです。

従来の仕組みを変える!!

ビルオーナー様、備品レンタル会社様、
そして当社と、三者共同で始まった貸会議室運営ですが、
その後ビルオーナー様が備品も購入する二社共同事業へと展開しました。
ただし、オーナー様の本当の希望は空室にテナントが入ることですね。
テナントが決まれば、貸会議室として提供していた空室がなくなります。
その際、オーナー様が購入した備品が余る事になるので、これを当社が譲り受け、
備品レンタル業として再活用することになりました。

レンタル業者は数多くあります。
しかしその中でも話題性を持つために、日本一安い備品レンタルとして打ち出していきます。
そのカラクリとして、安いかわりに、お客様に近くの会場まで取りにきていただくのです。
そうすることで運搬費をカットすることができる上、
当社の貸会議室の会場をお客様に見ていただく機会作りにもなり、
会場のレンタルにつなげる狙いがあります。
この事業もまた、費用をかけた新規事業ではなく、
今既にあるものを有効活用する、という考えからのアイデアです。

当社の事業は、貸会議室やレンタル事業、
その他オフィスの内装関係や移転コストシミュレーション事業、
アウトドアスポーツの企画運営など多岐にわたりますが、それは全てこのような事業
の相関関係で生まれたものです。
元手にがかからならいので、色々なことにチャレンジできています。

事業の強み・差別化

元々母体として貸しビル不動産事業を行っていたおかげで、
当社には、日頃からビルオーナー様と直接お話する機会がありますので
物件オーナー様の情報が入ってきやすいというメリットがあります。

そもそも、オーナー様自身には、貸会議室という発想はありません。
ですが、複数フロアーが空いているビルのオーナーさんなら、そこを有効活用したいと考えるはずです。
当社は豊富な情報源を利用し、このようなオーナー様へ事業を提案していきます。

また当社では、移転コスト.comというWebサイトを運営しています。
これは、移転の費用から移転後のレイアウトのイメージまで、
誰でも簡単にシミュレーションできるツールです。
不動産業者・内装業者・建設業者など、
移転コストのシミュレーションを行っている事業者は多くありますが、そのほとんどはサブ的要素。

しかし、そこを当社はメインで行います。
SEOのノウハウを駆使した移転コストシミュレーションによって集客し、
内装業者を紹介するところまでが当社の役割となります。
独自で内装事業を立ち上げれば手間と人手がかかりますが、
この方法であればノーリスクで外部集客ができ、内装紹介の売り上げを上げることにつながります。

このように、豊富な情報源とノウハウをもとに、独自の切り口で事業を進めているところが当社の強みです。

全国100会場へ!!

全国100会場を運営していきたい、という目標があります。
貸会議室事業のWEBサイトに訪れる方のキーワードを見ていると、
「貸し会議室 目黒」など、必ず場所が入っています。
ですから、検索結果一覧に必ず当社の会議室が入ってインパクトを強められるように、
まずは主要都市を抑えていきます
それができれば、当社のHPで貸し会議室を日本地図から検索出来るシステムを作りたいと考えています。

また、移転コスト.COMのシミュレーションを1万、2万と多くの方に使っていただきたい。
まずはこのツールでどんどん遊んでいただいて、
その中から何%かの方の問い合わせにつながればいいと思います。                                   
独自ブランド戦略:貸会議室事業は0120-489-550(予約-GOGO!)や
一目でわかるBMT貸会議室統一ロゴを用いて認知度をアップしています。
移転コスト.com事業は0120-3110-15(さぁ!移転行こう!)で運営しています。

夢はかなうものだ、しかしつかめないものだ

日頃から社員みんなに言っていることは、「夢は叶うものだ、しかしつかめない」ということ。
志ある人なら、誰でも夢は叶います。
しかし、その夢が叶いそうになった瞬間にはもう、野心が湧いて次の夢が見えている。
だから、「夢は叶うがつかめない。」
叶ったからといって夢が終わる訳ではないし、本当にそれで終わってしまうようではいけなません。
叶っても叶っても欲が湧いて次の夢が生まれて追いかける、そういう姿であってほしいと思います。

常に向上心を抱き、色々な事業にチャレンジしたい人。
形に捕われず新しい切り口でアイデアを提案出来る人。

そんな人とともに、当社は成長を続けたいと考えています。
そして、今後も有効活用法をモットーに事業を展開し、
アイデアがあればチャレンジして可能性を探り、時代に沿ったサービス事業を展開して参ります。


株式会社リッチロード 代表取締役 徳田里枝

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代表取締役 徳田里枝

代表取締役 徳田里枝

設立 2000年2月4日
事業内容
    • 投資用不動産の売買・売買仲介
    • 投資用不動産の賃貸管理
    • 一棟マンション・一棟アパートの建物管理
    • アセットマネジメント・プロパティマネジメント全般
会社HP http://www.richroad.co.jp/

自分に自信を。

周りに比べ、私の起業は遅いものでした。
大学を出て一年、バリバリと働くOLとしてマーケティングで働いていた私は、
自分自身に対して強いコンプレックスを持っていました。
何かに突出したものを持っていない。
それが、私にまとわりつく考えに他なりません。

そのコンプレックスを払拭するには、何か一流の人間になるのが良いと考え、飛び込んだのは劇団でした。
学生時代、能や歌舞伎を鑑賞する事が好きだった私は、あこがれた舞台に自分で上がろうとしたのです。
しかし、自身の才能の無さに気づき3,4年程続けた研修生を辞める事となってしまいました。
志半ばでありましたが、得られた大きなものが一つ。
それは、自分自身を認められるようになったことに他なりません。
演技をするうちに、ありのままの自分を受け入れる事ができ、
ようやく自然体の自分を手に入れる事が出来たのです。

そこからは母が経営していた経験を活かしながら喫茶店を営むこととなりました。
まだまだ、私の起業には時間がかかるのです。

営業との出会い

喫茶店を経営していたのは7年ほど。
その期間の割に、最後までこの仕事を好きになれない自分がいました。
今思えば、喫茶店の仕事上での特色、「待つ」という事が性に合わなかったのでしょう。
もっと自分から向かっていけるものを自然と求めていたのではないでしょうか。
結婚と同時に閉めてしまった喫茶店業ではありますが、
嫌いでありながらも今の自分につながる事を学ぶ場ともなっていました。

学べた事の一つは「責任」。
店を開くというのは大変な事で、日曜日以外は全く休む事が出来ず、
お客様のために様々な事を考え、それぞれには必ず「責任」が伴います。
この「責任」の重さに、今でも喫茶店業を営んでいた当時の悪夢を見る事がありますね。
開店前なのにお米が炊けていない!なんて夢を今でもみてしまうんです、、、

店を閉じ、専業主婦となりはしたものの、やはり働きたいという気持ちは残っていました。
そこで、当時の旦那のすすめもあって保険会社の営業を行う事に。
人と接する事は得意ではなかったはずなのですが、思った以上の成功を収める事が出来ました。

起業にむけて

充実した生活を送っていたのですが、病気によりその生活が途切れる事となります。
卵巣腫瘍、それが私が患ってしまった病気でした。
体を顧みず、仕事を優先していた私の体はボロボロで、死を覚悟する瞬間もありました。
退院と手術を繰り返し、ようやく治りはしたものの、
もう歩き回る営業が行える体では無くなっていたのです。

そんな時、偶然就職できた場所が不動産業。
この時すでに40歳でした。
そこで電話営業を中心に行い、半年ほどでトップセールスまで上り詰める事が出来ました。
要因は様々にあるのですが、
何よりも、上司にめぐまれていた事、
その助けがあったからこそ上り詰める事が出来たのだと思います。

ここにきてようやく起業へとなるのですが、その意志はこの業界に入った時にもった物で、
投資や不動産について何も知らない私が、
自分自身に向けて課した3年という月日が過ぎてからの事でした。
不動産という業界で、私はまた新しい出発をする事となったのです。

「100年続く会社」

起業当時は2~3人程でのんびりと働き、自分が食べられる分だけ稼げれば良いと考えていました。
しかし、規模は大きくなり今ではこの状況。
この結果は起業当時では考えられませんでしたね。
とは言っても、この結果は必然だったとも言えるのです。

不動産業界が目をつける所に、管理業があります。
物件にオーナーがいて、その物件の管理をする事なのですが、これはとても長い目で見る仕事。
言ってしまえば、そのオーナーが亡くなるまで続く関係になる可能性があるビジネスなのです。
その間、私たちにはこの仕事に「責任」を持ち、続けていかなければいけないのです。
それくらい続ける為に必要な事はなんでしょうか。
考えられる必要な事を一つ一つ、それらを整えていくうちに今の状況が出来上がったのです。

私の掲げる事の一つに「百年続く会社」という物があります。
これは、先ほどの「責任」の話につながる事で、
百年この会社を続かせなければならない責任が私にはあります。

100年の理由

私自身の考えとしてですが、私にとって会社は稼ぐための場所ではないのです。
それはつまり、決して私の会社にはしたくないという事。
我が社は社員のものであり、オーナーのものであり、
大きく言ってしまえば社会のものであるのだと私は考えています。
もし、私が自分の稼ぎのために作った会社であるならば、
やめたい時に会社ごとなくすことも可能でしょう。
しかし、会社は自分のものではなく、社が負っている「責任」がそこにはあります。
それには、私だけいなくなっても会社は残り続けなくてはならないのです。

これが、我が社が言う「百年続ける」という事に他なりません。
そして、そのために何をしなければならないのかも、少しずつ明確になりつつあります。
新卒の採用もその一環。代変わりを意識してとった行動でした。
現メンバーも含め、次のトップも育てていかなければならないでしょう。

「女性」への着目

相対価値を考え、競合が少ないフィールドを見つける事は経営上で大切な事。
私は「女性」という所に目を付けました。
2013年新卒で採用した4名は皆女性です。
女性が持つ力というのは、この業界でも意味のあるものなのだと思います。
しかし、不動産業界は長く男性が作り上げてきた世界。
女性ではついていけずに辞めてしまうという話も数多く、
中には辞める事を考慮して3年ほどで使い捨てのようにするといった考えもあるほどです。
私たちは、そんな業界を変え、女性こそが活躍できる会社創りを目指していきます。

株式会社ブレーメン 代表取締役 石川浩之

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代表取締役 石川浩之

代表取締役 石川浩之

設立 平成23年9月1日
事業内容
    • 不動産の売買・交換・賃貸借・仲介及び管理、 不動産投資企画及び仲介
    • 建築物の各種空間のデザイン・レイアウトの企画設計・施工、建築工事及び内外装工事の設計・施工及び監理
    • 店舗等商業施設に関する企画・開発・運営、 店舗等商業施設に関する企画・開発・運営
    • 家具・室内装飾品の企画・開発・製造・販売、 飲食店の経営及び企画、損害保険代理業及び生命保険の募集に関する業務
    • コンピューターのネットワークシステム及び情報通信システムの企画・設計・開発・販売・保守、農作物の生産・加工・販売
会社HP http://www.brainmen.co.jp/

起業までの道のり

私は自営業一家に育ちました。
親族の中に一人もサラリーマンがいない環境でしたので、
逆にサラリーマンをやってみたいという思いがあったのです。
通学中によく見かけたたスーツ姿のサラリーマン・・・。
何故か、背中を丸めて寂しげに見えたのを覚えています。
しかし、僕がなろうと思ったのは、もちろん真逆のサラリーマン。
常に上を見続ける人になろうと、不動産業界へ飛び込みました。

相当なポジティブシンキングで挑んだサラリーマン生活。
本当に多くのことを経験しました。
出る杭はとことん打たれました・・・・・。
辛いことも山ほどありましたが、学生時代の経験が糧になりました。
ラグビー部での一つのことを貫徹して成し遂げたことへの自信。
仲間との横のつながり。
先輩、後輩との縦のつながり。
これらに支えられ、そして乗り越え、同業界での起業の一歩をふみだしたのです。

住まい改革をするために

不動産、建築業界は、人間が家を持ち始めた時からずっとある職業です。
この衣・食・住で欠かせない大切なものをビジネスとして起業するにあたり、
私は、2つのことを考えました。

1つは、ニッチな事を探し、
今まで誰もやってこなかったような新しい事を生み出すこと。
この業界は、歴史もあり、大手企業も山ほどあります。
巨大企業と同じことをしていても、我々にチャンスはないのですから、
新しいことを創造していくこと、私たちだからこそできる事を考えました。

2つ目は、お客様一人ひとりに、一番あったものを提供し、
お客様の笑顔が生まれるご提案を心がけることです。
ルーティンワークではなく、常に新しさを模索することが重要だと考えました。

全ては逆算です。
最終的にどうなりたいかと考えた時に、
高い目標を掲げたのであれば、人より頑張らなくてはいけません。
頭を常にフル回転し考え、何が求められているのかの深堀を徹底し、
他社にはできない強みを生み出せば、そこに勝機があるはずです。

ニッチ商品の「わが住ま」を柱に

弊社では、お客様にオンリーワンの住まいをご提案するための
「わが住ま」(※わがままな住まいの略)というニッチな商品を柱に事業展開しています。
一般的なマンションや建売住宅は、出来上がった物が多いと思いますが、
この「わが住ま」は、お客様の予算・希望等に合わせて、
お客様のオンリーワンを創り出していくものです。

全てをオリジナルにご提案するフル・オーダー。
そして、全部を選ぶのは決めにくいと思われる方には、
一部を自分色にしていただく、セレクト・オーダー。
この2つのコースから選択できるようになっています。
この「わが住ま」は、
設計士、インテリアコーディネーターやカラーコーディネーターなどのアドバイザーもつけ、
お客様への最適な提案をしていきます。
我々のような中小企業だからこそ、細部まで行き届いたサービスが行える最大の強みです。

将来的には、「わが住ま 友の会」のようなものを作って、
お客様からの逆オーダーも受けていきたいですね。
この地域で何坪の土地(マンション)で、いくらくらいで家を建てたい(内装を変えていきたい)
という相談から家づくりにかかわっていけたらと思っています。

今後のビジョン

今後の5年間は、現在の事業、不動産と建築に特化して、
様々な人材を多角的に判断をし、採用、配置しながら固めていこうと思っています。
各地域への支店計画もありますので、1年で3、4人づつ増員し、
がんばっている人たちが寄り集まっている、さらにいい会社作りをと考えています。

また、土台をさらに固めた6年目以降は、
海外、ネット関連、美容業界や、高齢者等
全く異なった業界に向けた取り組みなどの進出も視野に入れて検討しております。
この取り組みもやはり、世の中にとって価値がありニッチなものです。
これらを実現するためにも、もっともっと考え、
精力的に時間を作って動かねばと思っています。

必要とされる人財

社会にとって必要とされている人にあてはまる、4つのキーワードがあると思います。
それは、
「まじめであること」
「明るいこと」
「やる気があること」
「考えること」です。

逆に、この4つさえ兼ね備えていれば、
どんな業界でも対応できるのではないでしょうか。
実際、弊社でもこの4つを採用の必須条件としているんですよ。

天下をとるくらいの気持ちを ~Only 1 は No,1~

強い気持ちを持ち続けてほしいですね。
諦めずに、「天下をとってやる!」くらいの気持ちを持続できない限り、
幾度となく押し寄せる波・ぶち当たる高い壁に負けてしまいますから。

そして、その波・壁に打ち勝つためにも学生時代は、
ぜひ人との交流をたくさん持ってください。
学校に行く大きな意味の一つはネットワーク作りだと思います。
実際、僕も社会の様々な壁にぶつかった時に、
この横・縦のつながりによって随分助けられたことがありました。
やはりあるべきものは仲間です。
そしてOnly1は必然的にNo.1になっています。
いっぱい考えて様々な分野でOnly1をめざしてください!

株式会社REALOGY 代表取締役 佐藤 英之

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代表取締役 佐藤 英之

代表取締役 佐藤 英之

設立 2012年12月28日
事業内容
    • 不動産のアセットマネジメント&プロパティマネジメント
    • 建物管理・工事
    • 不動産の投資コンサルティング
会社HP http://www.realogy-corp.com/home

起業の経緯

私は1995年に大学を卒業後、
一貫して建築・不動産マーケット畑を歩んできました。
もともと、建物やデザインに興味があり、
単純に好きという気持ちから追求していたように思います。
そして、【自分のビジネスマンとしての価値】を考えるようになったとき、
起業というものを意識するようになりました。

事業内容

私たちREALOGYは、
不動産の管理運営、運用コンサルティングを行う会社です。
弊社は、主に不動産をターゲットとしたアセットマネジメントを行うベンチャー企業ではございますが、
数ある競合他社とは確実に違う強みの部分を持っております。

社名の由来は、real-estate(不動産)とtechnology(技術)。
これらを掛け合わせることで、
新たな価値を生み出すという決意が込められています。

他社が思いつかないような付加価値をその不動産に付けられるか、などのサービスを
クライアントの皆さまへご提供することが弊社の使命であり、
存在意義であります。
「REALOGY」を弊社の方向性として考え、
皆さまには高品質のサービスを提供していきます。

REALOGYにできること

【REALOGYにできること】
○投資不動産の購入及び売却アドバイス
○運用時のシミュレーション
○キャッシュフロー算定
○アセットマネジメント&プロパティマネジメント
私たちは上記のような不動産業務を主軸としております。

私たちの仕事は、日頃の物件管理に留まりません。
不動産価値を最大限に高めるための運用コンサルティングまで行います。
物件を収益性、安全性などあらゆる視点から分析し、
最適な運用計画をご提案。
それは清掃といった細部なことから、
インテリアコーディネート、リフォームまで、
規模も内容も多岐に渡ります。

【ITを駆使した管理システム】
独自に開発した不動産管理システム「B・CASTER」を用いて情報を一元化しています。
こちらへはお客様から自由にアクセスでき、
物件に関する情報を入力頂きます。
情報の共有化を加速させ、
REALOGYからのスピーディーな対応を可能にしました。

求めるのはベンチャー気質

私たちはベンチャー企業として新しい発想を歓迎します。
新しい発想を取り入れたり、新規ビジネスモデルを創造したり。
自分の働きが、会社の成長に直結する環境です。
これからのRALOGYの発展は、
社員それぞれの熱意と発想により広がっていきます。

特に私の未知の領域を知っている人には興味があります。
そういう方と補いあって強い組織を築いていけたらと思います。

会社の歯車となるよりも、自分にしかできない仕事をしたい。
そんなチャレンジ精神を持った人にとっては、
やりがいの大きい環境ですよ。

ベンチャー企業としてのスピード感や責任感、
結果に裏付けられる実力主義の風土に、
情熱を注ぐことができる方からのご応募をお待ちしています。

株式会社ディストノア 代表者 山田 辰郎

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代表取締役 山田 辰郎

代表取締役 山田 辰郎

設立 2004年7月22日
事業内容
    • ホームページの企画・作成・コンサルティング
    • 不動産賃貸・売買仲介業務、交換、管理、代理
    • 動画コンテンツへのサービス提供
    • 通信販売
会社HP http://www.distnoah.jp/

起業経緯

社長になりたいとか、大きな夢があったわけではありません。
友達と遊んだりしながら楽しく生きていけたらな、という気軽な気持ちでいました。
勉強も一生懸命!というわけではありませんでしたね。
朝まで友人たちと遊んだり、哲学的なことを話し合ったりして、
翌日学校へと向かう。
そんな生活をしていました。
そんな僕ですから就職活動もしていません。
知り合いから紹介された会社へ右から左へと流れるように就職しました。
今思えば、働く意欲がまったくない青年でした。
社会貢献の意味も働く意義も知らず、自分のことで精一杯でしたね。
起業した経緯も、仕事の流れや誰かから促されてというわけではありませんでした。
当時はちょうどIT関連の事業が産声をあげた時代。
インターネットオークションなどで生計を立てていた僕にとって、
多少なりとも自信のあったIT関連の会社へと転職をしたのは自然な流れでしょう。
そこで業務を重ね経験を積むうちに、独立を志すようになりました。

信頼すべき仲間と

本当に信頼できる人かどうかは、長い時間をかけなければ分からないでしょう。
しかしビジネスの上で信頼できる人かを判断するためには、
それほど時間をかけてはいられません。
では、どの段階で信頼できるかどうかを判断するのか。
僕は提案をしてくれるかどうかで決めています。
例えば仕事をある人に頼んだとしましょう。
何もいわず、作業のように仕事を受け取る人はダメです。
仕事を受け取ってその仕事に対して意見をくれたり、
こうしたらどうだろう、こうするともっと良くなるのでは?
そんな意見をくれる人を信頼すべきと考えます。
やっぱり意見をくれるということは、
それだけ僕や会社のことを考えてくれているということですから。
もちろん、根拠無く仕事の期日を守れない人は論外です。
本当は僕が知らないところで努力しているのかもしれないし、
別のところで頑張っているのかもしれません。
でも期日を守れない、ただ無感動に仕事を請け負っている人を
僕は信頼すべきと考えません。
やはり仕事をする上で大切なのは、
信頼すべき人と仕事をすることですから。

事業内容

主業のライブチャットを軸に不動産・カフェを運営しております。
ライブチャットは後程説明するとして、
不動産、カフェについては「浸透しきっている業種」に対して
どこまで弊社が「今の」「これからの」サービスで
活躍・貢献できるかを試したく立ち上げました。

不動産業のルメストは首都圏の不動産の売買・賃貸に特化した事業です。
まだまだ若いですが、おかげさまで3年の実績を積み上げることができ、
クライアントや利用者からもあつい信頼を得ています。

お客様の中には
行くお店によっては「営業トーク」で丸め込まれそうになった経験などもお持ちで、
こういった業種の営業マンには多少なりとも
「本当に言ってるのかな?」と不信を持たれている方もいらっしゃると思います。
また、お部屋情報がインターネットで概ね収集できる時代ですから
「不動産屋」というのはただの案内人という位置づけにもなってきてますね。
ルメストではお客様一組に対して、
「これでもか!」と言うくらいしっかり時間をかけて対応をさせて頂くことで
「営業トーク」「営業マン」というイメージを少しでも払拭していただき、
僕たちの本当のお仕事「提案」という部分を大事にし、
店長中川を筆頭に満足していただけるサービスを
これからも改善しながら成長させていくつもりです。

カフェは、京都で昨年春に「カフェぼんちぃ」としてOPENさせましたが、
京都ではまずその当時なかった「カフェインレス珈琲」の提供を主とし、
一般的な喫茶店で提供されているメニューをそろえております。
「珈琲は好きだけど、妊娠中だから・・・」「あまり飲みすぎると眠れないから・・・」
などを理由に本当は好きだけど飲めないお客様はたくさんいらっしゃいます。
当社のオリジナル(通販可)のカフェインレス珈琲は
99.9%カフェインを抜いた豆で入れておりますので、
お子様でも妊婦様でも安心してお飲み頂けます。

ライブチャットへの認識を

新規事業に対しては明確なビジョンがあるわけではありません。
そもそも僕自身が今日はカフェの事業の計画、明日は不動産の計画、というように
頭をすぐに切り替えていけるタイプではないので、
ひとつのこと、つまりライブチャットに力を入れていきたいと考えています。
「ライブチャット」ときくと皆さんどんな印象を抱きますか?
ライブチャットはコミュニケーションツールとして最適なサービスですが、
どうしても健全でない印象を抱いてしまう人が少なからずいる不遇のサービスでもあります。
今後弊社としてはライブチャットの正しい認識を広めていくこと。
ライブチャットをもっと多くの人に使用してもらえるよう努力していくつもりです。

新しいサービスや事業というものはどうしても抵抗を受けるものです。
ライブチャットも同じく多くの人に受け入れられるためには時間と労力が必要になるでしょう。
抵抗に負けず、ライブチャットを普及させていきたいと思います。

求める人物像

今では通信技術も進歩し、遠く離れていてもすぐに連絡することができます。
しかし返事が来るのが遅く結局話を伝えるのに1日以上掛かってしまった。
メールでも電話でもこういった経験がありませんか。
直接会って話せば、こういったロスタイムはありませんが、
話してもなかなか理解してくれない、
理解してくれたと思っても間違っていたために、もう一度伝えなければならない。
こうした齟齬が発生することもあります。
話を一言で理解できるか。
相手の立場や背景を考察しながら、何を求められているのか理解することが出来るか。
通信技術がいくら発達しても最終的に必要になるのは理解力です。
だから、僕は理解力のある人と一緒に働きたい。
理解力というのは何も特別な力ではありません。
友達に喜んでもらいたいから、何をして欲しいのか察してみよう。
先生がどんな答えを求めているか理解しよう。
こうした対人関係での理解は小学生でも持っています。
大切なのは理解力を伸ばしていく努力を怠らないことです。

学生へのメッセージ

人に迷惑をかけずに、誠実にやる。
信頼を得られる人間になってほしい。
僕はいまの学生さんは頭が良いと思っています。
しかし中には頭の良さの使いどころを間違えてしまっている人がいる。
現代ではインターネットを使って、
一般人や学生であっても自分のコメントを発信することが出来ます。
有益に使うことも出来るこの機能、
使い方を間違えてしまうと他人を否定することで自分の意見を目立たせたり、
かっこよく見せるために使ってしまう。
自分を賢くみせるために、本当は反対していない意見に対しても反対してしまう。
不特定多数の人に対して自分を良くみせようとしたり、反応をえようとしてりするよりも、
1人に対してでもいいから誠実に、本来の自分をみせるようにしてほしい。
またリスクを恐れず挑戦してほしい。
起業だってためらう必要はありません。
上手くいかず潰れてしまったとしても、
自分ひとりで責任を負うことができるのであれば、
どんどん挑戦していけばよいと思います。

株式会社ボルテックス 代表取締役 宮沢 文彦

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代表取締役 宮沢 文彦

代表取締役 宮沢 文彦

設立 1999年4月13日
事業内容
    • 収益不動産を核とした資産形成コンサルティング
    • マンション管理適正化法に基づく管理業務
    • 損害保険の代理業(富士火災海上保険代理店)
会社HP http://www.vortex-net.com./

「面白い」と感じる仕事との出会いから起業へ

大学時代はとても良いとはいえない成績で、
アルバイトとサークルとサッカーを中心に大学生活を送っていました。
サークルは、ツアーやパーティーを計画するイベント系で、
大学時代は遊ぶことばかりを考えていました。

大学4年生の時に、私は旅行会社に就職先が決まっていましたが、
敢えて留年の道を選びました。
理由は単純で、社会に出たくなかったからです。
その当時、自分には仕事ができるとはとても思えなかったのです。

就職活動中は、私自身が変わり者でしたので面白い人材と思われたのか、
いいところまでいくのですが、最終選考で落とされていました。
落とされる理由は、はっきりしていました。
スーツを着ないで面接へ行ったり、面接日を忘れたり・・・。
結局、決まった就職先は中堅の証券会社でした。

就職後は年々ボーナスが下がり、年収も下がっていきました。
その後、お金を稼ぎたかったので
一般的にはイメージの悪い不動産の販売業者へ転職しました。
不動産の販売業は、私にとってはとても面白い仕事に感じ、
この転職が私の起業への筋道を立てたのです。

エネルギーをかけ常識を変えていく

その会社に入社して間もなく、社長がワンマン経営ということもあり、
設立メンバーの先輩達が辞めていってしまいました。
私は新人でしたが、努力の結果突出した営業力を短期で身につけていましたので、
先輩が独立した新会社に誘われましたが、その誘いを断りました。
会社に残った理由は、社長にはしっかりとしたビジョンがあり、
なにより社長の人格に惚れていたからです。

会社の売り上げをつくっていた核となるメンバーが辞め、
社長はショックのあまり会社をたたむと言い出しました。
しかし30歳の私には、その当時マネジメントの経験が全くありませんでしたが、
自分に自信だけはあり、プレイヤーとしての営業のセンス=売る技術がありました。
「自分にやらせて欲しい。営業は任せて欲しい」と社長に言って任せて貰いました。

入社して半年のド新人が責任を持って数字にコミットしてやれたのは、
我慢をしながら『できることはやる』、そして『体力とガッツでやり抜く』でした。

私は仕事に執着しながら、エネルギーをかけて営業していましたので、
その会社でオーバーローンの頭金なしのセールスで売れていた不動産を、
頭金を出すセールスに切り換えることができました。

逆説的な新たな考えの先にロマンがある

私は「自分が認められたい」という思いから、
小さい頃から既成概念に対し反発をしていました。
不動産業での「自分の存在価値」は、
不動産が節税対策として考えられていた常識をクオリティの高い商機対象へ変化させ、
新たなマーケットを創出できたことです。
物事への既成概念に対して常に疑問をもつことで、
社会に今までとは違う逆説の新たな考え方を浸透させることに、私はロマンを感じます。

私個人で売っている不動産は、今では1契約20億円です。
会社全体では、今季240億円の数字が出る勢いですが、
私が作っている契約はそのうちの3分の2いくかいかないかです。
今でも一日3件商談へ行っています。
不動産は、高い商材です。
最短最速で契約を決めていくので、うまくいくと今でも痺れます。

弊社は、日本で初めて
不動産業界にある既成概念の逆説をいく区分所有オフィスに特化しこだわり続け、
パイオニアとして事業の拡大をしてきました。
世の常識を疑うことで、新たなマーケットをつくりました。
そのマーケットには本質的な価値が存在し、それをお客様に提案し続けることで、
独自の地位とサービスを確立することに成功しました。

日本の投資に対する考え方を引き上げる啓蒙活動をしたい

お金を使うことには、消費か投資しかありません。
不動産で言えば、賃貸は消費活動です。
購入はいくばくかモノが残るので、投資活動にあたり財務上に残ります。
つまり財務が厚くなるとうことです。
投資活動の方法や量によっては、法人の財務戦略に影響を与えることが可能となります。

不動産投資において投資価値が高いのは、お客様が好まない様な割安物件です。
投資信託でも、毎月分配した方が売れますが、実際は投資の運用枠が小さくなるのです。
これは投資は利益の追求という観点から、
間違っているファイナンシャルインテリジェンスです。

私は、日本の投資に対する考え方を引き上げたいと思っています。
それには、説得力をつけるために様々なブランディングが必要です。
不動産投資を感覚的な判断ではなく、合理的な判断基準から見直す必要があります。
安定したキャッシュフロー、高い稼働率、二次流動性、管理の煩雑さの低減、税務アドバイスなど、
質の高いアセットマネジメントは必須であり、実現可能です。

例え売れなくともこの考え方がわずかな人達に理解してもらえれば、
その人達が投資に対する考え方や行動を変えることにより、
いつか基盤が変わると信じています。

努力を惜しまない素直な人を求めています

一般常識や価値観に迎合しない人。
常識を疑うことで、本質的な価値を見出すことができる人。
世間での常識をひっくり返そうとする無謀な発想ができる人。
その無謀な発想に論理的思考に基づき、仮説をたてて実証できる人。

優等生やいい会社に入った人やお金持ちの人と比べると、
私は劣等感を持ち合わせています。
だから、サラブレットのような人間よりも、
雑草魂を持っている人間を好みます。

仮に、評価の低い人に対しても、
私はその人に先入観念を持たないで、その人の良いところを探しています。
我社の社員に対しても、
仕事ができないと評価されている社員に対して、
その評価通りの見方はせずに、私の見方でその社員を評価します。

また、私の経営者としてのイズムに共鳴し、継承し、
そのイズムを完全に社内に浸透させる人も求めています。

そして何よりも、お客様へのサービス向上の為に愚直な努力を惜しまない人です。

一生懸命取り組んだことは後に武器となる

どんないい学校や、どんないい会社に入ったところで、
そこで何もしなければ意味がありません。
そこで、何をやるかに意味があるのです。
大学時代、私はサークル活動を中心に過ごしていましたが、それが営業に役立ちました。
プレゼンテーション能力は今も活きています。

学生時代の私の周りにいる人間と比べると、
私は中堅の証券会社に入社したときは負け組でしたが、
そこで蓄えた営業や金融知識が、今役立っています。
入ったところで一生懸命やることが、
巡り巡って流れをつくり後になって武器になるのです。

私は浪人し留年し、会社を3社ほど転職していますが、どんなことも経験だと思っています。
人生の選択肢には、失敗はありません。
全て成功への過程なのです。
どんな状況でも、どう振る舞い、そこでどれだけエネルギーをかけるかが大事です。

エリートであろうと、会社がつぶれれば、稼げなくなります。
どこかに入ったとしても、安泰はないのです。
どれだけエネルギーをかけて仕事に取り組めるかが大切なのです。

例え今、何もやりたいことがなくても、何かは感じているはずです。
その何かを具現化するために、
今は意味がないと思うことでも一生懸命やることが大切なのです。

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